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工房むうあと鉄の手仕事

鉄の彫刻家、吉田正純の手仕事、彫刻や展覧会の紹介、万善寺住職活動など、さまざまな日常を公開します。

一日遅れの坊主正月 

2018/01/04
Thu. 23:17

正月3日間の朝課法要が一段落して気が緩んだのかもしれない。いつもより1時間位寝坊してしまった。
あわてて着替えて、諸々準備をして遠方のお檀家さん他、関係各所に配布する1年の守護札と年始粗品用カレンダーを祈念しようと本堂にいたら、昔は毎日のように夜な夜な飲んでいた30年来の友人が新年のお参りをしてくれた。

それぞれ違った道を歩きはじめて、気持ちの向く方向が別々になってから少しずつ逢う機会も飲む機会も話す機会も減ってきて、石見銀山の町並みのすぐ近所で暮らしているのに、今は1年に5回と出会うこともないし、酒を飲み交わすこともあるかどうか・・?程度に疎遠になった。それでも、こうして正月のうちに万善寺へ寺参りをしてくれて、それだけはよっぽどの事情がない限りだいたい例年続いている。
「これから、何か用事があるの?」と聞いたら、午前中は特になにもないと云うから、「それじゃぁ、久しぶりだし・・」とコーヒーでも用意することにした。
まずは、祈念のお経を終わらせて、御札などを香にくぐらせて、彼にも焼香してもらって、そのまま本堂に落ち着いて、ほぼ1年ぶりの世間話になった。別に、お互い嫌いになって疎遠になったわけでもないし、それなりに風の便りでおおよその実情は把握できているから、逢えばすぐに疎遠の距離も縮んでそれぞれの近況報告になった。

「今ねぇ、(喜捨)という言葉が気になってるのよぉ〜」
本堂に置いてある喜捨箱をみつけてそう云ってきた。
「寄進とか寄付とか、同じような意味合いだけどね・・(喜捨)といわれるとチョット気持ちが変わってくるよね・・」
文字をそのまま読むと「喜んで捨てる」ということで、その気持の先は、功徳をいただくことに繋がるわけで、そういう汚れのない清らかな気持ちが形になって示されるわけだから、その質量の加減で功徳の過不足が決まるようなものでもない。そういうことの積み重ねが信心の重さ深さになって我身我心の清浄につながるし、徳の道がひらけるわけだ。
今の世の中、とかく銭勘定が優先して打算が過ぎる傾向にある。
「欲」にも良し悪しがあって、選択肢を誤ると無駄に苦労が重なって自分の行末に悩みのネタが尽きなくなる。結局は、何も無いのが一番スッキリして気持ち良かったりするのだが、そういう境地に至るまでが試練だ。
「(放下)ということもよく云われるよね。そっちが(喜捨)の上かもね?我欲が消えて放下の境地になればたいしたものだよ」
「(ホーゲ)って、どんな漢字書くの?」・・・彼は、まだ放下を知らなかった。
そのうち、なにか分かり易く解説でもできるといいなと思ったが、今の自分はまだまだそんなエラソォーなことが言える身でもないし、まずは、自分で自分が納得できるまでのことをしないといけない・・・とまぁ、万善寺の冷えきった本堂でコーヒーすすりながらオヤジ二人の1年がそんな会話から始まった。

彼が帰ってから、今日を一日遅れの坊主正月に決めて、昨年末に万善寺本堂へ導入したAI掃除機君のスイッチをONした。

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