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工房むうあと鉄の手仕事

鉄の彫刻家、吉田正純の手仕事、彫刻や展覧会の紹介、万善寺住職活動など、さまざまな日常を公開します。

そもそもの万善寺 

2018/05/15
Tue. 23:50

新年度に変わってはじめての坊主総会があった。
年度初めの総会はどういう組織でも似たような議題で終始するが、万善寺の属する教区の坊主総会では毎年内容を変えた研修会が抱き合わせで行われる。
たとえば、部落差別のこととか、自然災害時の取り組みのこととか、戒名の問題とか、過去帳に絡む情報公開の有無に関する周知徹底とか色々だが、今年は寺にお参りを中心とした障害者対応に関しての現状と対策や提案が協議された。

自分で言うのもどうかと思うが、だいたいに日頃から性格の捻くれたところがあって、世間を斜めに観ているような坊主の仮面を被った生臭い人間であるから、こういう真面目な直球豪速球の話題になかなかついていけないところがある。
「うちの寺は観音霊場の一つになっているので、時々高齢の信者さんがお参りされるのですが、あれだけ長くて急な階段の上にお堂があったりすると、ご案内して良いものかどうか躊躇するんですよねぇ〜・・・まさか、エスカレーターとか昇降機を設置することもできないし、そもそもそれだけの投資をする余裕もないですし・・・」
まぁ、そんな感じの話題でしばし賑わった。
ひと昔前のことだと、宗教家としての坊主の口から出ることなど無かった話だ。

万善寺は俗にいう(のかどうかわからないけど・・・)男寺というやつで本堂の床が高い。その上、それがまた基礎石で境内のレベルから一段あげられているから、より高くなっている。最近は年齢のせいもあって少し背が縮んだが、本堂の濡れ縁がだいたい身長170cm位のボクの顎のあたりの高さになる。これは、飯南高原の数ある寺院の中でも一・二を争う高床の本堂といっていい。一方で、女寺(いまでは、「差別用語になる!」とこういう時に限ってうるさいことをいうひともいるだろうが、ボクはそれを「区別」だと思っているのだ!)の本堂はせいぜい高くて1m前後のゆったり横に広がった造りになっている。私は、仏教の長い歴史の中でどちらが良いとか悪いとかそういうことで本堂の造りや構造が決められてきたわけではないと思っている。では、ナニが根本かというとそれは「信仰の象徴」であり「信仰の具現化」であると考える。

日本のお城の天守閣へ続く階段は、わざと高さをランダムに組み上げて敵の進撃スピードを狂わせていたという。
殺伐とした戦と清浄な仏教の信仰心とは一見似たような造形物であっても、その創造の根本が全く違っている。仏教で云うところの急な階段とか高床の本堂とかは、そういう障害を克服した後に照らされる仏の光明に出会った時の達成感を噛み締め至福の喜びを目指すべく、自らの苦行修行の実践的体験をさりけなく提供していることなのだ。男寺と女寺の違いは、修行者とか信仰者がどのように考えナニを求めるかで造形や構造の違いが出てくるというわけで、どちらが良いとか悪いとか、信仰心が強いとか弱いとかそういう飛沫の信心で出来上がっているものでは無いと私は思っている。

そもそもの万善寺は、土留めの丸太を寝かした緩やかな勾配の参道に、禅寺特有の結界の象徴である門や回廊を持たない江戸中期再建の男寺であった。当時の住職の考えでそのような建造になったのだと私は思う。

カーブミラー

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