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工房むうあと鉄の手仕事

鉄の彫刻家、吉田正純の手仕事、彫刻や展覧会の紹介、万善寺住職活動など、さまざまな日常を公開します。

草取り機ものがたり 

2018/05/17
Thu. 23:42

最初に学校の草取り機を造ったのはキーポンがまだ大森小学校へ通っていた頃だった。

あの頃は、島根県全体で小中学校の児童生徒数が激減している時で、大田市でも行政区の小学校が毎年のように統廃合で減少していた頃でもあった。現代彫刻小品展や野外彫刻などの彫刻イベントを開催している旧富山小学校もその時の統廃合で廃校になった。
大森小学校の方は、地域住民の小学校存続への熱い思いが教育委員会から提出された廃校計画に真っ向から対立することになって、当時のPTAもPとTがそれぞれの立場で距離を置きながらそれぞれ主催の研修会や学校再編計画の説明会やそれらを受けての町民集会まで毎月のように開催して、石見銀山の町全体が熱く揺れ動いていた時期でもあった。

吉田家の子供たちはというと、すでに上3人が義務教育を卒業してそれぞれ次の進路へ進んでいたから、最後に残ったキーポンは一人っ娘のごとき甘えん坊に育っていた。
オヤジの私としては、特にキーポンを特別甘やかして育てているつもりもなかったのだが、上の3人の子供たちには事あるごとに「お父さんはキーちゃんだけ特別に甘やかしすぎている!」と文句というか嫉妬というか意見というか・・・とにかく、そう云っていつも叱られていた。もっとも、自分としてもやはりキーポンが最後の子供だと思うとほったらかしにも出来ないし、その上、児童数も最悪に少なくて、だから親の役回りも当然立て込んで窮屈になるわけで、そういう実情のこともあって、保護者や学校との付き合いも「コレで最後だから・・・」と、なんでも言われたことはゴクリと飲みこんで「引き受けることにしよう!」と自ら決めていたところもある。
それで、めぐり合わせでPTA会長の役職が回ってきて、それに統廃合の問題が付いてきて、何から何までドタバタと仕切りまくるしかない状態になってしまったという理由。
大森小学校の校庭の草取り機のことも、その流れで吉田が製作するということになってしまった。大森小学校の長い歴史の中で、シーズンになると歴代PTA会長が率先してH鋼を引っ張って草取りの勤労奉仕を繰り返していたという既成の事実があって、それを引き継ぐかたちになってしまったというのが今だから話せる裏事情であったわけだ。

H鋼を引っ張っていた頃のPTA会長は運送業の社長さんで、でかいトラックを持っているから、それを校庭へ持ち込んでグイグイ馬力で引きずり回していたのだが、みんながみんなそれが出来るわけでもなくて思い悩んでいたら、当時の校長さんが「前の学校で勤務していた時に近所の鉄工所のご主人が造ってくれたモノがありましてね・・・」と耳打ちしてくれた。そう云えば「似たようなゴツイのが中学校の野球場の隅へなげてあったなぁ〜」と思い出して、早速リサーチに出かけた。そうやって、幾つかの草取り機データを収集して自分なりに工夫してだいたいのスケッチを描いて、それを工場へ持っていって、ありあわせの材料をかき集めて溶接で継ぎ足して造ったのが第1号草取り機だった。
唯一のコダワリはメインの櫛に炭素鋼を使ったこと。これはたまたま、板金の打ち出しに使う小振りの当て金を造ろうと取り寄せておいたものが2本ほどあってそれを流用した。

「ご注文の鋼材が入荷しまして、夕方にはお持ち出来るんですかどうしましょうか?」
4月末に頼んでおいた炭素鋼がやっと届いた!第4号草取り機制作の余裕はもう無い・・・

IMG_3030.jpg

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