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工房むうあと鉄の手仕事

鉄の彫刻家、吉田正純の手仕事、彫刻や展覧会の紹介、万善寺住職活動など、さまざまな日常を公開します。

橋本脚本 

2018/07/19
Thu. 23:35

橋本忍さんの訃報を知った。
かなりのご高齢だとは思っていたが100歳だったらしい。
今続いている猛暑のせいではないだろう、大往生と云っていいだろう・・・
今年に入って、私の気になる存在の人々が相次いで亡くなっている。
こういうことが続く時もあるのだろうと、受け止めるしか無い・・・

橋本さんと云えば、やはり黒澤明さんとの沢山の共同脚本が思い出される。
はじめて「羅生門」を観た時は、まだ小学生の3〜4年くらいだったと思う。万善寺に白黒のナショナルテレビが来てから何年か後の年末か年始に深夜放送で観た記憶がある。
寒い冬に炭炬燵へ潜り込んで眠い目をこすりながら最後まで観た。映画は次々と汗が滴り落ちる暑い暑い場面と、スコールのような激しい土砂降りの場面と、それに京マチ子さんのエロチックな唇や肌がとにかく強烈に鮮明に目の奥へ焼き付いて、観終わった後、眠たいのに眠ることが出来ない興奮を朝まで引きずったことを覚えている。
「砂の器」は確か新宿松竹の封切りで観たはずだ。
先日亡くなった加藤剛さんが音楽家だった。原作は現代クラシックだったと思うが、映画の方はアカデミックなクラシックの交響楽になっていて後半の盛り上がりにいい具合にシンクロして、不覚にもボロボロ泣いて鼻水をズルズルすすった。
上京して2〜3年経った頃で、あの頃は完全に映画芸術にのめり込んでいた。
貧乏学生だったから、まずは映画関連の雑誌やシナリオの専門誌を立ち読みしたり古本を探したりして基本データを収集して、それから封切りにするか2番館3番館にするか決めて主に新宿を起点にして池袋とか銀座とかを巡りながら見漁っていた。
砂の器の時に脚本家橋本忍さんをはじめて本気で意識して、それからさかのぼって羅生門が橋本さんの最初の脚本だったことを知った。
そのあと、しばらく橋本脚本を追っかけるように日本映画を見漁った時期があった。

橋本さんの監督した「私は貝になりたい」も最初に観たのは万善寺の白黒テレビで、小学校6年か中学校に入ってすぐの頃だったと思う。
フランキー堺さん主役と新聞のテレビ欄にあったので、最初はコメディーだろうと勝手に思い込んでいたのだが、映画の方は全く違って、落ち込むばかりのなんともやるせない夢も希望も無い重たい話だった。自分の知っていたフランキー堺さんとのギャップが激しすぎて、それが衝撃的だった。
今から10年くらい前に島根県の隠岐の島や奥出雲がロケ地になって中居くん主役の映画になった時は、結局周辺の事情で観る機会を逸した。橋本さんは、そのときに自分の脚本へ初めて自分で加筆したらしい。どこがどう変わったのか見比べてみたいと思っているが、今の所それが出来ないままでいる。

最近の数年間は、久しぶりに日本の映画やドラマが面白くなってきて、楽しみが増えた。
追悼というほど大げさなことでもないが、もう一度橋本脚本を観直して見ようと思う。
「七人の侍」「蜘蛛巣城」「隠し砦の三悪人」「張り込み」「ゼロの焦点」・・・・合掌・・・

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