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工房むうあと鉄の手仕事

鉄の彫刻家、吉田正純の手仕事、彫刻や展覧会の紹介、万善寺住職活動など、さまざまな日常を公開します。

観音様の御陰 

2018/09/11
Tue. 23:58

台風が通過してから秋雨前線が刺激されたのか、今ひとつパッとしない天気が続いていて、なかなかスッキリとした秋空になってくれない。
彫刻展の会場をオープンする時間から逆算して飯南高原を出発した。
前夜は、例の防災マップ作成に関する調査開始の説明などがあった。
飯南高原を大きく3~4ほどに分けてそれぞれのグループから自治会の責任者が集まってきた。50人以上は居たと思う。
議題へ入る前に15分ほどのDVDを見せられて、私はたった15分の間に寝てしまっていた。隣りに座っていたのは、夏に棚経でお邪魔するお宅のご主人だった。ひょっとしてイビキをかいてしまったかもしれないと若干不安だったが、済んだことは仕方がない。
年齢のこともあって、私の同級生たちの顔が結構たくさん集まっていた。
顔ぶれを見ると、それなりのご意見番で活躍していそうな連中だったから、そういうことは極力避けて生きている私としては、とにかく面倒臭いことにならないように、集会が終わるとすぐ彼等と目を合わせないように工夫しながら早々に退散した。

保賀の谷は、全体が真砂土でその上に腐葉土が被っている。
萬善寺の裏山も、私が記憶しているだけで2回は大きな土砂崩れがあって、その度に腐葉土がずり落ちて真砂土がむき出しになった。
観音様の御陰もあって、本堂の真裏で崩れた土砂は2回とも庫裏の裏を斜めに横切って西側の畑に向かってずり落ちた。
1回目の土砂崩れで裏庭の面積が半分になって、その痕跡を隠すように母親がセッセとサツキやツツジの挿し木をした。
2回目の土砂崩れは庫裏の隣りにある別棟の客殿の角をかすめて、長方形の家全体が平行四辺形になったうえに、土砂の一部が家の中に入り込んで壁や柱や建具を壊して畳の一部がダメになった。家のすぐ横の畑はその時の土砂で完全に埋まった。流石にその時は保賀の町内の男衆が総出で家屋内の復旧を手伝ってくれた。それからあとも、萬善寺は何度も自然災害に遭遇してアチコチに数え切れないほどのダメージを受けているが、すべて観音様の御陰によってその都度なんとか復旧して今に至っている。

国や県の防災計画によると、自分の住居が幾つかある災害防災パターンのどれかに該当する場合は、立ち退きを迫られるか、国の基準に則った防御壁を建造をするかしないといけないことになるらしい。
さて、萬善寺は調査の結果どういう対応を迫られることになるのだろう・・・
開祖さん以来、400年以上の歴史ある萬善寺が今の場所に移築再建されたのは江戸の中期になる。
戦国の頃は毛利と尼子の最前線で激戦地だった。そういうところに山の一部を削って平地をつくってアチコチから古寺の部材をかき集めて観音堂のような本堂が造られた。
それから250年くらいは過ぎて、いまの萬善寺は、地面から垂直に建っている柱は一本もない。同じ場所へ改築する気にもなれないし、まぁ、ボクの住職代に何かあれば萬善寺と運命を共にするしか無いだろう。
観音様の庇護も命運尽きて、災害で潰れてしまえば後腐れなくてそれも良い。

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