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工房むうあと鉄の手仕事

鉄の彫刻家、吉田正純の手仕事、彫刻や展覧会の紹介、万善寺住職活動など、さまざまな日常を公開します。

人には添うてみよ 

2018/10/17
Wed. 23:46

高校の時から一人暮らしをはじめて、その延長で上京して東京ぐらしが10年続いた。
30歳に近づいても、まだ定職につかないままフラフラしていたから、そろそろシャンとして「何処かの採用試験でも受けなければ・・・」と思いつつ、それでも今ひとつ就職に本気になれないでいたのだが、ちょうどその頃両親が相次いで大病を患って、父親が手術を受けたり入院が長引いたりして萬善寺の行く末に暗雲が湧き上がった。それからしばらく闘病生活が続いていたが、発達中の医療の御陰で日常の暮らしを取り戻すまでに回復した。
「本気で帰省を考えないと・・・」いけないことになったので、10年目の7月になって島根県と広島県の教員採用試験を受けることに決めた。
ちょうど、後輩に広島県出身の娘がいて、その娘は頭も良くてよく勉強をしていたから、お昼ご飯とかちょっとおしゃれなディナーをネタに試験のノウハウを色々教えてもらった。
お陰様で、両県とも無事に合格して、その年の秋になってから通知が直接寺の住所へ届いた。昔のことで記憶も定かではないが、広島県からの連絡が1日ほど遅くて島根県の採用通知を承諾した後だったことはよく覚えている。これが、逆だったら今頃は広島県と縁が続いて石見銀山に自宅をかまえていなかったかも知れない・・・
とにかく、自分としては両親に引き戻された格好で島根県へUターンしたことになる。
ワイフとは、すでに数年間の付き合いが続いていたから就職を契機に結婚することを決めて、勤務校が決まって辞令交付直前の3月末に慌ただしく仏前で結婚式を上げた。
長男のじゅん君が生まれたのはそれから3年ほどあとだった。
その後、なっちゃんにノッチにキーポンと女の子が続いて三姉妹になった。
4人の子供はそれからスクスク成長してみんな立派な社会人になった・・・はずだが・・

今年の秋になって、隠岐の海士町で音楽の講師をしているじゅん君から中学校音楽で正式に教員採用が決まったと知らせがはいった。
彼が先生に向いているがどうか?・・・オヤジとしては自分のDNAを引き継いでいるだけに少々不安ではあったが、本人は音楽教師一本に絞って脇目も振らず勉強を続けていたから、結果的にはそれでよかったと思っている。
それから、オヤジの分身のようにフラフラと落ち着かない暮らしを続けていたノッチが、ちょうど自分と同じ年齢で本気になって採用試験を受けた。
それが、六本木の展覧会オープニングの日・・・
「面接1時から30分ほどで終わるらしいの・・・だから、2時位には美術館行けるよ!」
ノッチとの約束から逆算してキーポンと美術館へ向かっていたら、「もう終わったから、これから移動します!」と連絡が入った。面接は15分で終わったらしい・・・
それから3人でお昼を食べて、お父さんとお母さんの彫刻が展示してある会場を回った。
何人もの彫刻の友人に合って挨拶をしたり娘たちを紹介したりして、Hさんとも会場であった。
Hさんは、ノッチがまだ小学生くらいのときから知っているし、キーポンも小さい時から何度も合っている。
彫刻展示室のど真ん中で、ノッチの就職試験をネタに大いに盛り上がった。

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