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工房むうあと鉄の手仕事

鉄の彫刻家、吉田正純の手仕事、彫刻や展覧会の紹介、万善寺住職活動など、さまざまな日常を公開します。

造る喜び 

2018/10/28
Sun. 23:14

この数年の間に自分の周辺で2人の彫刻家が制作から遠ざかって疎遠になった。
一人は体調不良が改善できないということらしいがその後どうなったか定かではない。
もう一人は公務多忙で制作の余裕がないということのようだが、これも実際どれだけ制作ができないほど多忙なのかはよくわからない。

一般的に美術家人口はそれほど多くないと思う。たとえば島根県に限ってみても専業の美術家として精力的に作家活動を続けている人を探すとなるとなかなか見つからない。私も坊主家業の片手間で彫刻を造っていると言っていいほどの中途半端な兼業彫刻家だし、ワイフも時間講師でいる時間の方が彫刻家の制作時間より数倍多い。
みんなそれぞれに自分の生活があるから美術の創作三昧で毎日が過ぎる作家など今の日本では芸術院会員くらいかもしれないが、それもみんながみんな専業の美術家であるかどうか、判断に苦しむところだ。

30歳前に生活の拠点を島根に戻してから今までワイフと一緒に制作を続けているが、その間に仕事が忙しくて制作発表を断念したことは一度もない。一身上の都合で出品が決まっていた展覧会をドタキャンしたことが1度だけある。ソレ以外は基本的に全ての彫刻制作と発表は自分の意志で参加不参加出品不出品を決めることにしていて、それが毎年のことになるとライフワークの一つになっているといっていいだろう。

彫刻家としての立場による自分の生活信条というと「構想と制作の継続」であるといえる。寝ている時以外は常に彫刻のことを思考の基盤に占めておくということ。それをしているから、少々の世間的摩擦や認識解釈の相違で起きる諸問題もあまり深く悩まないで切り抜けてしまうことが出来ている。「彫刻家であること」を自覚することで、日常の様々な場面で生じる価値観の相違による深刻なストレスを回避できている利点がある。

現在、彫刻から遠ざかっている二人も、たとえば目先の生活レベルをキープすることを最低限の譲れない条件としてそれを優先的に用意しているとすると、やはり彫刻のこと全てが二の次になってしまうことは避けられないことだ。
日常の暮らしの中で常に彫刻のことが最優先に位置付いていたら「あれがあるから彫刻ができない」的発想は出てこないはずだ。結局造形意欲とか創造力の枯渇が制作意欲の減退につながって、結果「造る喜び」が消えて苦痛に変わってしまうことも十分に考えられることだ。
自分の造形上のテーマを曖昧なままその場しのぎでやり過ごしてしまうと、やはりいずれそのうち制作の目標を見失って自分の立ち位置も揺らいで制作意欲も消沈して立ち直ることができなくなってしまう。彫刻が遠のいた二人はもう時すでに遅いところまで来ているかも知れないが、ほんの少しでも造る喜びの記憶が残っているなら、まずはなりふり構わずどんなモノでもいいから手足身体を動かして制作の汗を流してほしい。
彫刻の制作が、現実からの逃避の手段であってもいいと思う。
とりあえずはそのあたりのところで気持ちを切り替えることが出来て、少しでも気楽になれるなら、それだけで十分に彫刻制作を続ける意味があるというものだ。

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