FC2ブログ

工房むうあと鉄の手仕事

鉄の彫刻家、吉田正純の手仕事、彫刻や展覧会の紹介、万善寺住職活動など、さまざまな日常を公開します。

吉田家の夕食 

2018/12/05
Wed. 04:54

中学校を卒業するまで生まれ育った地元で暮らしていた。
萬善寺から約2kmほど歩いて小学校へ通い、中学校の3年間はその道を父親からお下がりの自転車で通っていた。
学校のあった小さな町にはなんでもあった。
映画館を兼ねた劇場は、1ヶ月に2回位上映替えがあってだいたい2本立てだったが、行楽シーズンとかお盆とかの節目には3本立て上映をしたりして賑わっていた。
大人の娯楽はパチンコ屋があったし、旅館は2軒並んでいて2階の大部屋からは週末になると宴会のザワメキが町並みに降り落ちていた。
内科と小児科を兼ねた開業医があって、その前には薬局と歯医者さんがあった。
町並みのほぼ中央にバス停と小荷物の引き渡し所があって、その隣は郵便局だった。
パーマ屋さんが町の川上にあって、町の川下の端に床屋さんがあった。
恵比寿神社の前には本屋とおもちゃ屋を兼ねた文房具店があって、その隣は電気屋さんだった。
学校へ入る四つ角には、酒屋さんとお菓子屋さんと呉服屋さんと自転車屋さんがあった。
その自転車屋さんは、それからしばらくしてスバルの自動車代理店になって、川下の床屋さんの前にある自転車屋さんはスズキの代理店になってそれぞれバイクや自動車を販売修理するようになった。
学校へ登る坂下の広場を囲むように、森林組合の事務所と農協と農協スーパーと銀行と役場があった。
新聞屋さんの隣にあるタバコ屋さんには通りに面して広い土間があって、簡単な軽食も出していた。梅雨が終わって暑くなり始めるとかき氷の旗が軒先にぶら下がった。
そのタバコ屋さんの前が雑貨屋さんで食器からザル・カゴ・ホウキ・スコップと、日常の生活雑器は何でも揃っていた。
毎日通学する先にあるその町は少年の私にとって大都会だった。

萬善寺の日常生活は、その町にある酒屋さんや雑貨屋さんの配達が頼りになっていた。
盆正月のお参りは、今では想像できないほどの大賑わいで、法要後の御斎には田の字の庫裏の襖障子をすべて取り外して大部屋になったところへ80人位のお檀家さんがひしめいていた。それだけの人数を賄うための大小の茶碗汁椀湯呑取り皿徳利猪口などなどの食器類は膨大な量で、それらすべてを寺の備品什器として雑貨屋さんから一括取寄せていて、割れたり欠けたりした物の補充更新が毎年のように繰り返されていた。
家族だけの食事には、その更新されて廃棄されるべき器がしぶとく使いまわされていて、子供ながらに、実に味気なくみすぼらしいものに感じていた。せっかくの母親の手料理も欠けた瀬戸物で飲み食いしていては美味しくもなんともない。

内村萩焼作陶工房で仕入れた器が早速吉田家の夕食に登場した。
器の殆どはとみ山フィールドアートワークで教室個展にあった器で、私が目をつけていたもの。それに、ワイフが欲しがったお皿も添えて一括購入した。
食材は、萩からの帰りに寄った数カ所の道の駅でゲットした地物ばかり。
ワイフの手料理がひときわ美味い!・・・

IMG_6616.jpg
IMG_6615.jpg
IMG_6413.jpg

[edit]

CM: 0
TB: 0

page top

この記事に対するコメント

page top

コメントの投稿

Secret

page top

トラックバック

トラックバックURL
→http://tetujin29.blog31.fc2.com/tb.php/3143-50284dce
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

page top

2018-12