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工房むうあと鉄の手仕事

鉄の彫刻家、吉田正純の手仕事、彫刻や展覧会の紹介、万善寺住職活動など、さまざまな日常を公開します。

無心 

2018/12/07
Fri. 04:11

朝から溶接が続いて立っているのが少し辛くなってきたから、いつもの海へ出てみることにした。
北西風が比較的強くて波が少し高かった。
大陸へ続く水平線が凸凹に波打っている。

仕事中に無心でいられる時間がずいぶん短く減った。
昔は、溶接をしていると足が重くなることも腰が痛くなることも肩から首筋が固まって指先が痺れてくることもなかったが、この頃はしばらく決まった仕事を続けているとそういう身体のアチコチの不具合が気になってきて集中力が切れて絶える。
修行僧的に云うと、座禅の身体がゆらゆらと揺れて気が散っているような感じで、歳を重ねれば重ねるほど修行の成果が身についてくるはずなのに、私の場合はまるでその逆になっている。
「コラ!!修行が足りん!!」と一括されてしまう不甲斐なさだが、なにせ日常の生活優先の在家坊主といては致し方ないところもある。
先代住職のことを思い出すと、膝が思うように動かなくなって、腰痛がひどくなって、サロンパスの効能が用をなさなくなって、指がしびれて物をうまくつかめなくなったり紐を結ぶのに時間がかかったりし始めた頃から、「エイ!クソ!!」を口走ることが一気に増えた。法事の先の人前でも口から出てしまうものだから「そういう、汚いこ言葉は謹んだほうが良いよ・・」とさり気なくたしなめていたのに、今は自分が似たような状況になりつつあって「ヤバイ!!」と気づいて反省することが増えた。そのうち、気づかないまに思わず口走ってしまっていたりしてくると、まさに先代と同じになってしまう。ヤレヤレ・・・

「無心」というと、確か沢庵禅師(だったと思う・・・)が、「分別や思案の無い時の心の状態である・・・」というような定義付けをしていらした(はずだ・・?)。
ようするに「何もしないとか何も考えないとかそういうこととは違うよ!」というふうに私は解釈している。「自分の現状からしばし逃避してボォ〜〜〜っとしている状態のことではない」ということ。
何か一つ事に一心不乱に取り組んでいる時の状態が「無心である」といえる。少し状況が違うかも知れないが「集中している」ということはそういう「無心の時の状態」を云うのではないのかと思っている。

日本海の波を見ていると・・いや、見続けていると・・自然と心が安らかになって、ある時を境に刻々と常に変化する波の様子と自分の気持ちが一つに重なったように感じる時がある。結局はただ「ボォ〜〜〜」っとしていただけのことなのかも知れないが、それでも何かしら彫刻の次の一手に迷いがなくなった清々しさも感じていたりする。
日々自堕落に過ごしているから集中力が退化するのも仕方がないことなのだろう。それでもまだ、いざという時にひと踏ん張り出来る程度の集中力は維持できている気がする。なにごとも、自分のことは自分自身が一番良く心得ているつもりでも、実際自分自身が一番自分の事に気づいていなかったりするものだ。ボクはまだまだ自分に甘いなぁ・・・

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