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工房むうあと鉄の手仕事

鉄の彫刻家、吉田正純の手仕事、彫刻や展覧会の紹介、万善寺住職活動など、さまざまな日常を公開します。

万善寺年始会今昔 

2019/01/02
Wed. 23:02

正月2日は原則として年始会が恒例になっている。
私が物心ついた時にはすでにそういう決まりができていて、当時は新年の祝賀祈念法要とその後てづくりおせちの精進料理や初餅のお雑煮や黄粉餅に日本酒の熱燗で日が暮れるまでエンドレスに酒宴が開催されていた。
近所からまかないでお願いした奥様方が5〜6人集まって、それぞれが自分の役割を分担して手際よく年始会を切り盛りしてもらっていた。
酒宴が盛り上がると流行歌がアチコチから出はじめたり、早々と何時もは家族が居間で使っている掘り炬燵へ移動して囲碁が始まったりした。
年始参りの檀信徒の皆さんの大半は、公共交通機関の路線バスの時刻に合わせて日が暮れる前に帰られる。今のように自家用車の持ち合わせなど稀なことで、せいぜい50ccのバイクくらいしかなかったから、雪の正月の寺参りはバスか徒歩だった。
お檀家さんで遠いところは一里以上もさきから徒歩で万善寺を目指す方もいて、年始参りも1日仕事になる。そこまでしてお寺参りされるくらいだから信心の強さも並ではなくて、正月早々年始会が2次会に突入する頃には、お参りの旦那衆総出で並んだ配膳机が片付けられ、取り払われていたふすまや障子が建て付けられ、いつもの掘り炬燵に復元されて、それから炬燵ごとのグループが出来て寺の運営で議論が始まるなどして賑やかなものだった。

高度経済成長とともに家族の離散が本格的になって、市街地で暮らす親族の帰省ラッシュが普通になって、それぞれのお檀家さんでは年始参りの信心より、久しぶりに揃う家族と過ごす正月が当たり前のことになった。
万善寺も、息子の私は30歳直前まで日頃は東京で暮らしていたから乗車率200%ほどの新幹線自由席や在来線を使って延々と10時間ほどかけて帰省することが当たり前だった。
その頃の万善寺は、年始参りもすでに激減していて、まかないでお願いしていた近所の奥様方も高齢を言い訳に一人ずつリタイヤされ、それに変わるように新婚間もないワイフが年末のうちから年始会の仕込みなどで都合よく内室のおかみさんを手伝わされるようになった。
私の方は、すでに少年時代から毎年繰り返される年末年始の決まりごととして粛々と受け止めていたからそれほど大きな感情の起伏も無かったが、在家から嫁いだワイフの方はある日突然に寺のまかないが回ってきて想定外の苦労を背負うことになった。それでも幸いに、お手伝いさんの数人はまだ引退前だったから、そういうご婦人方の他愛無い井戸端会議に救われて内室からのダイレクト司令を避けることが出来た。おかげさまでそれで嫁姑の直接対決を避けられたし、辛うじてギリギリ平常心でいられることが出来た。

私もワイフも彫刻家でもあるわけで、制作中はどちらかといえば自分の仕事をマイペースに進めることが多いから、万善寺のことも内室のおかみさんが他界してからは正月行事がずいぶんやりやすくなって楽になった。何事も、まずは誰かを当てにするところからスタートすると、かえってそのための事前事後の手間が負担になって気疲れする。はじめから他人を当てにしないでいたほうが気楽でいられて都合が良い。
今年の年始会は天気も落ち着いて、お参りも例年と変わりなく静かに始まって終わった。

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