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工房むうあと鉄の手仕事

鉄の彫刻家、吉田正純の手仕事、彫刻や展覧会の紹介、万善寺住職活動など、さまざまな日常を公開します。

珈琲の緑茶割り 

2019/01/23
Wed. 23:05

珈琲の緑茶割りが身体に良いと、何かの本(多分雑誌)で見た気がする。
記憶をたぐると「読んだ!」という気がしないから、広告か見出しか何かをチラリと見かけたくらいのことだと思う。
どうしてそれを覚えているかというと、珈琲が好きであるということ。それに寺の茶箪笥へ緑茶の詰め合わせが消費されないまま山積みに溜まっているということ。その2つの現実が、「珈琲の緑茶割り」で見事に頭の中で合体したことによる。

一般の概念というか大衆の常識というか、とにかく禅寺とお茶はとても親密で切っても切れない関係であると思われているようなところがある。それで曹洞宗の末寺万善寺も毎年のお中元やお歳暮でアチコチからその年の新茶が届くというわけ。
まずは仏様へお供えさせてもらって、そのお下がりをいただくわけだが、オヤジの一人暮らしではとても1年でその年1年分のお茶を消費することが出来ないまま、残った新茶が少しずつ古くなって溜まっていく一方になる。とても有り難い悩みであるわけだが、残念ながら住職である私自身が緑茶をあまり好まないこともあって、新茶が古茶に変わって、時々フライパンに移して煎り上げて即席のほうじ茶もどきにしたりするものの、やはりすべてを消費できなくて古茶が古古茶になってしまう。そういう寺の日常のこともあって「珈琲の緑茶割り」のフレーズを忘れないでいた次第。
珈琲は好きで毎日欠かさず飲み続けているから、それにひと手間加えて緑茶で割って、そういう飲み物がとりあえず我儘坊主の口に合えば、無駄なく緑茶の消費につながるし都合が良い。まだ余裕がなくて実践に至っていないが、近い内にブレンドの具合などを色々試してみようと思っている。

「喫茶去」は、もともと中国の禅僧のお言葉が始まりらしい。その禅的解釈を臨済宗開祖の栄西大和尚様が日本で広められた。そういうことから、禅宗というと「どうかお茶でも召し上がれ!」というノリの所作を想起されるようになったのだと思う。
昔は、お茶も漢方の一種で珍重されていたようだ。インゲン豆も隠元大和尚様に由来するらしいし、タクアン漬けも沢庵大和尚様が語源らしい。昔の方丈さまは、今でいうところの漢方医とか薬剤師的存在でもあったのだろう。
そういえば、書画仏画仏像彫刻、作詞作文など、坊主の表現観はなかなかレベルが高い。どの坊主もみんながみんな同じようにセンスや才能があるわけでも無かったろうが、宗教的修行だけで坊主の人格が形成されていたわけでも無い気がする。
もともと、仏教の根本は限りなく解釈の広がった抽象的で雲を掴むような混沌としたものであったりするから、昔々の偉い方丈様方はそれをいかに具体的な実践に置き換えるかということを真剣に考え試行錯誤していたのだと思う。
仏事様式を正確に伝承することも大事な修行であるだろうが、もう少しアバウトに振り幅を広げて坊主個々人の仏教観を模索してもよい気がする。近年は、坊主カフェとか坊主バーとか坊主ミュージシャンとか坊主フェスとか色々と営業を展開されている様子を見聞する。ある意味で、そういうことも布教活動としては大事な実践であるのだろうが、シャイで人見知りのナンチャッテチキン坊主のボクなど、コツコツと彫刻を造り続けることくらいしかできそうにない。それじゃぁ、とても積極的布教活動になってないね・・・

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