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工房むうあと鉄の手仕事

鉄の彫刻家、吉田正純の手仕事、彫刻や展覧会の紹介、万善寺住職活動など、さまざまな日常を公開します。

チーン! 

2019/01/28
Mon. 23:43

門前の小僧習わぬ経を読む・・・

保賀の谷のあるお檀家さんでは、ここ数年の間におばあちゃんが亡くなり闘病中の奥さんが亡くなり、それからしばらくしておじいちゃんが亡くなり、昨年はお父さんが亡くなって、今はお孫さんご夫婦が3人のお子さんとお墓やお仏壇を御守りされながら暮らしていらっしゃる。
一般の常識で考えると「ご不幸が続いてさぞかし大変なことだろう・・・」と思われがちだろうが、長く坊主をやっているとそういうお宅はそれほど珍しいわけでもなく、その時々の巡り合わせでたまたま偶然にそれぞれの寿命が近いところで重なったということで、ご親族としてはそういう現状を納得して比較的冷静に受け止めていらっしゃることが多かったりする。
3人のお子さんはまだ小学生に通うほどの年齢だが、成長にあわせるように葬儀や法事が続いて、そのたびに何度となくお邪魔して同じお経を繰り返し読んでいるうちに、いつのまにか3人それぞれに2つ3つのお経を聞き取りで覚えてしまった。
この頃では、私がお邪魔するのを見計らって、鐘の合図や木魚のテンポにあわせて私と一緒に大きな声でお経を読んでもらっている。

万善寺の宗派は基本的に世襲ではないから、親子の関係がそのまま師弟関係である必要もないのだが、昭和の頃は長男が家の跡取りになることは当然の風習として認識されていたから、私の場合もその路線にピッタリとはめられたまま少年時代を過ごした。
それで、門前どころか身内家内の小僧としては毎朝毎晩同じお経をリピートすることが当たり前で、パブロフの犬の如く「チーン!」と鐘の音が聞こえただけで、その時何をしていても普通にお経モードにスイッチが切り替わっていた。
だいたい10歳前後で得度式をすることが多いのも、まだ子供が反抗期を迎えて親の言うことを聞かなくなる前にサッサと弟子にしておいたほうが都合良いという親の一方的判断によるものがほとんどだ。私の場合も、気が付かない間にマンマと親の常套手段に乗っていたわけで、結果、現在のナンチャッテ坊主に至ったという次第。

自分が望んで自らの信念で仏教へ向学心を持ったわけでもないから、ひとりの宗教家としては何から何まで適当で場当たり的な無学な坊主になってしまって坊主的プライドなど微塵もない。それでもやはり生まれ育った環境もあって、自分の成長の節目節目でそれなりの影響を受けていることも多々ある。
私の場合、日本的アニミズム思考は彫刻制作における造形の原点であり抽象的発想のよりどころとなっている。
自分の造形観は、有機無機問わず森羅万象万物に宿る気質気息の曖昧さに強くひかれる。
そもそもの仏陀に起因する仏教には偶像崇拝の要素がなかった。私はそのことにとても強く興味を惹かれるし、魅力を感じる。実態の説明や解説を期待しないことが素敵だと思いつつ、一方で何かしら具体的実態を求めているようなところもある。自分の彫刻は常にそういう矛盾を内在している。「チーン!」でお経モードにスイッチの入る不可思議さとどこかしら共通する気がしないでもない・・・

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