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工房むうあと鉄の手仕事

鉄の彫刻家、吉田正純の手仕事、彫刻や展覧会の紹介、万善寺住職活動など、さまざまな日常を公開します。

説教とは・・ 

2019/02/05
Tue. 23:47

なんとなく寝るタイミングを逸してしまって、ウエブ配信のドラマや映画を見る気にもならないし、しばらくYouTubeで音楽のビデオを見ていたが、ソレも今ひとつ身に入らないし、垂れ流しのBGMに切り替えて、ウエブニュースを上から順番にチェックしていたら、そのうち、いくつかの読みかけの文庫本があったことを思い出した。
一つは葉室麟さんの長編。一つは三浦しをんさん、一つは安西水丸さんのキネマ旬報へ連載されていた映画エッセイ(これは読みかけとは言えないな・・・)、一つは夢枕獏さんの仏陀の荒唐無稽長編冒険譚、一つは村上春樹さんの対談・・・などなど、夜中にその気になって探し始めたら自分の周囲の彼方此方から読みかけの文庫本が湧き出るように見つかった。
こんなに、際限もなくアレコレの本をつまみ食いのようにつまみ読みしていると、その1冊の読みかけのところまでがどんな内容だったかほとんど覚えていなかったりする。
こんなことだと、「読書」という領域から逸脱していて、どこかしら自分の近くに何かしらの本が転がっているだけでなんとなく気持ちが落ち着くといった、精神安定剤のような役割にしかなっていないように思ったりする。
それでも、それらの1冊1冊には、記憶に残るというか脳みその何処かに張り付いて離れないというか、そんな感じで前後の雰囲気をいつまでもソコソコ覚えているようなこともあったりして、それはソレで「何もないわけじゃないからネ・・・」と勝手に自分でそういう状況を肯定的に納得しているようなところもある。
さて、それじゃぁ~ひとまず「どれから読み続けようか?」と決め始めたら、それがなかなか決まらない。夜中のことだから、すぐに眠くなる本にするのも良いかも知れないし、軽めの感じで無理なくスラスラ読み続けるのも良いかも知れないし、せっかくだから、少し丁寧に行間を追いかけるのも有りの気もする・・・

ボンヤリと、そんなことを思っていたら、いつも鞄に忍ばせて持ち歩いている菜根譚を思い出した。
洪自誠さんの菜根譚は、私のバイブルのようなもので、日常の何かにつけて暇があればパラパラとページを捲って、止まったところから2つ3つ読み進めたりしている。特に暗記をしようと思ってもいないが、気になるフレーズはしばらくのあいだ覚えていられるし、その時時の状況によって微妙に解釈が変わって感じられたりして飽きることがない。
こういう状態の菜根譚と私の関係はどこかしら師弟関係に通じるような気もしていて、日頃だらしなく暮らしている自分には大事なことのように思う。
洪自誠さんの時代・・というより、孔子さんや老子さんなど中国哲学では「小人(しょうじん)」と「君子(くんし)」を並べて論じる傾向にあるようだ。小人は「人徳がなく度量の小さい人」で、君子は「学識や人格が優れた徳の高い人」を象徴して定義づけられていて、だいたいその2者を対比させながら善悪善し悪しが示される。洪自誠さんの菜根譚もザックリとそういう形態に属しているから、云っていることが結構厳しくて断言的ではあるが、私にはどこかしらボンヤリとした柔らかさも感じられて、それが好きなのだろう。時々「法事の後のナンチャッテ説教で使えないかな?」と思ったりもするが、なかなか自分の言葉に置き換えるまでの技量がなくて諦める。
「説教とは、教訓を垂れること!」とあって、「教訓とは教え諭すこと」とあった。
どうも意味不明でボクにはよくわからない・・・?

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