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工房むうあと鉄の手仕事

鉄の彫刻家、吉田正純の手仕事、彫刻や展覧会の紹介、万善寺住職活動など、さまざまな日常を公開します。

錻力店の鎚音は・・ 

2019/09/11
Wed. 12:05

ひところに比べると随分陽が短くなった。
吉田家前の駐車場へ着いた頃はもう銀くんのヘッドライトが無いと辺りの状況が見えないほど暗くなっていた。

ワイフとお隣さんの車が出船状態でならんで駐車してあれば、その隣の空きスペースに銀くんを横付けするのだが、どうもいつもと様子が違う。
吉田家前の駐車場へ黒塗りの大きなセダンが窮屈そうに停めてあるし、すぐ隣の駐車スペースにも見慣れないワンボックスやハッチバックや軽バンが窮屈に停めてあって、町並みの暗がりを数人の男女が慌ただしく行き来している。

吉田家から2軒ほど川下にある家は、古から錻力店だった。
石見銀山が閉山になって町並みの活気が絶えてゴーストタウンへ変わる頃に、ご主人が営業を大田市の駅前通りに移転してそちらへ生活の本拠地が変わってから後、石見銀山の錻力店はずいぶん長い間空き家のままだった。
吉田家が石見銀山へ転居した頃も空き家のままだったのだが、その後世界遺産登録の話が本格的になる頃に駅前通りで営業していた雨樋やトタン板金の錻力店を店仕舞して石見銀山の元の家へご主人夫婦が帰ってきた。
錻力店の町並みに面した二部屋から土間にかけての改修が終わると、ご主人が石見銀山の間歩(坑道)で使われていたカンテラを造りながら観光客相手の土産物店を始めた。
カンテラは、まだ銀の採掘が継続していた近世になってから間歩で使用される唯一の明かりとして製造されていたもので、間歩の奥深くで作業をする手元を照らすための明かりとして使われたのだが、同時に坑道の奥まで酸素がいきわたっているかを確認する命綱として重要な役割の一つになっていた。酸素が薄いとカンテラの火が消えるから、それが目安になって間歩の事故を未然に察知していたわけだ。

錻力店のご主人は、今どき珍しいほど昔ながらの職人気質の人で、ことの良し悪しの尺度がことごとく自分の常識で決まっていた。だいたい世間でいうところの定年退職に相当する歳になったから潔く駅前通りの錻力店を閉店して石見銀山の実家へ引き上げた。まだまだ十分元気で自治会の新年会などでは好きな酒もよく飲みよく語っていた。
お父さんから伝授されたカンテラ作りを再現したご主人は、世界遺産の登録とシンクロして観光客に大受けした。マスコミの取材も絶え間なく続き、独特の大田弁と毒舌でアッという間に石見銀山を代表する有名人になった。遠くから錻力店のカンテラを目的に訪ねてくるファンも制作注文も増えて、とにかく毎日ブリキの板を叩く鎚音が朝から夕方まで絶えなかった。
その忙しさが良くなかったのかある日軽い脳梗塞で倒れた。
リハビリの後、退院して錻力店を再開したが、鎚音は激減した。
その後少しずつ体力が弱り、数年前には店へ出ることも無くなって奥さんが土産物の店番をしながら夫婦で静かに暮す日々が続いていた。そしていよいよご主人の身体が動かなくなってから本格的な入院介護へ入って、ご主人の顔を見ることもなくなっていた。

久しぶりに自宅へ帰られた行年82才のご主人はとても穏やかなお顔だった・・合掌

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