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工房むうあと鉄の手仕事

鉄の彫刻家、吉田正純の手仕事、彫刻や展覧会の紹介、万善寺住職活動など、さまざまな日常を公開します。

琴引山遠望 

2020/03/12
Thu. 23:50

大練忌の朝、万善寺はマイナスまで冷え込んだ。
前日には法要の準備などをして横になったのが深夜になった。その少し前くらいから冷え込みが厳しくなってきたから、雪になるか放射冷却で空が晴れ上がるかどちらかだろうと思った。目が覚めると庫裏の南側の窓が障子越しに明るくなっていた。布団の中で吐く息が白い。いつもより早めに起きて玄関の鍵を開けて、それから本堂から庫裏までぐるりと一周朝の用事を済ませた。
吉田家からはワイフとじゅん君が怜子さんの大練忌にお参りしてくれる。
トシちゃんたち夫婦は直接遺骨と一緒にお寺へ来てくれる。
法要のお手伝い随喜を隣町同宗ご住職へお願いしておいた。

予定した大練忌差定が粛々と進み、喪主以下ご親族の焼香で無事に全て終了した。
斎の会は、飯南高原の丘陵にある薬膳レストランを予約しておいた。
地産の野菜や島根各所の地物をふんだんに使ったコース料理で満腹になった。
そのレストランは、時々の節目にワイフと食事に出かける。いつだったか「怜子さんにも食べてもらいたいね・・」と二人で話した記憶があるが、結局叶わないまま過ぎた。
万善寺先代夫婦は、まだ彼らが元気な頃に何度か連れてきたことがある。
内室のおかみさんはその日のおまかせコース料理が好きだった。晩年は指の関節が固まっていて箸が思うように使えなくなっていたから、豆などの箸を使いにくい皿のものは直接指で摘んで食べていた。あまり行儀の良いことでないが「美味しく食べてくれたらソレが良い・・・」と、見ないふりをした。

レストランからは琴引山の山稜がよく見える。
植林の中の登山道を一気に登って最初の尾根へ着くと、そこから幾つかの稜線が緩やかにアップダウンを繰り返しながら山頂まで続く。
その山頂は草野球ができるくらいの広い平地で、その端の岩場に御宮が安座されてある。
昔は、その御宮から山頂に広がる平地へ40以上の宿坊があったらしい。宿坊と云っても、仏道修行者が寝起きする程度の掘っ建てのようなものだったと思う。万善寺の起源はその宿坊の一つから始まったようだ。
琴引山の麓である飯南高原一帯は、戦国時代毛利と尼子の領地争奪の激戦地だった。戦国の武将たちは戦略や策略や政略などあらゆる手段を駆使して時代を生き延びた。万善寺開基殿はその中の一人の武将に行き着く。彼は、最後まで尼子方に組みして敗戦を期に出家したらしい。その出家僧の生地がどうやら銀山街道沿いの宿場町であったようだ。私は、通勤坊主で朝夕その町を通過している。銀山街道古道はくねくねと続く渓流を渡りながら両岸のわずかな平地をたぐって飯南高原まで続いていた。町に続く小山の山頂にあった山城は銀山街道の関所の一つとして機能していたようで、その宿場町はたたら製鉄とか養蚕業などの地産や石見銀の運搬業などで賑わっていた様子がうかがえる。

葬儀開練忌から続いた仏事も大練忌をもって一区切りついて、少しだけ気持ちが晴れた。
琴引山の遠望が雲ひとつない飯南高原に映える。
いつもの万善寺に戻った境内を、あの目付きの悪い黒猫が横切った。

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