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工房むうあと鉄の手仕事

鉄の彫刻家、吉田正純の手仕事、彫刻や展覧会の紹介、万善寺住職活動など、さまざまな日常を公開します。

嵐の現代彫刻小品展最終日 

2012/04/22
Sun. 02:59

いやぁ〜・・・、なかなかの試練ですなぁ〜・・

ただ今、石見銀山は雨風吹き荒れる嵐の夜を迎えております。
ガタピシの吉田家は、突風を伴う隙間風が縦横に入り乱れ、屋根や雨戸やサッシ窓を真横から雨が叩き付けて、ギシギシと悲鳴をたてております。

2012年現代彫刻小品展浜田会場は、嵐ではじまり嵐で折り返し嵐で終わる、正に嵐の洗礼を受けた会期となりました。
なにやら吉田が試されているようでもあります。
もっとも、今更ドタバタしてもはじまらないことなので、何処かの町の行政マンのごとく粛々と眼前の事実と向き合うしかありません。

・・・というわけで・・・

以下は、展覧会の受付をしていると、彫刻の仕事も出来ないので、暇な時にダラダラと書き続けていたら出来上がった吉田の本音です。
このままボツにするのもキーボードを打ち続けた数本の指たちがかわいそうなので転記しておきます。

文中、他人の迷惑・思惑諸々省みない不適切な発言が多々出てきますので、そのようなマニアックで身勝手なノリを不快に感じられる方々は、この度の道中で見つけた絶景スポットからの一見のどかな日本海風景でも鑑賞してすみやかに通り過ぎて下さい。

なお、不幸にして吉田の本音の呪縛にハマって長文を読破してしまった方は、自己責任で対応して下さい。
吉田はいっさい責任を負いません。もちろん反論などの受付も致しませんので悪しからず。

IMG_3848.jpg

〜オヤジの本音〜

「子供から大人まで楽しめる〇〇・・」という言葉を見かけると、何となく「アレッ?」と思ってしまう。
この間も浜田世界こども美術館で現代彫刻小品展の受付をしながら暇な時にパラパラとめくっていた公共施設の展覧会チラシでそれを見つけて、「アレッ?」と思って、なんかその続きを読んでいくのが面倒くさくなって止めた。

だいたい今の日本で、「子供から大人まで楽しめる」のは、ディズニーランドかジブリの映画位のものだと、独断と偏見の固まりで自己虫の私は、そう思っている。

そもそも「楽しめる」ことの定義付けそのものが曖昧であるのに、所かまわず子供も大人もみんなが一緒になって「楽しめる」という状況を共有することなどあるはずがない。

「楽しめる」ということには、ある程度の概念と趣向を共有出来て、閉鎖されたり隔絶されたりする空間や環境があってはじめて機能するものじゃないの?
例えば、ディズニーランド。
あのディズニーランドのゲートを潜った先にある外界と隔絶されたディズニーワールドに自分の身を置くことで、子供たちは子供なりに、若者たちは若者なりに、オネエサンたちはオネエサンなりに、オヤジたちはオヤジなりに、ジジババたちはジジババなりにそれぞれがそれぞれの意識と認識の中でディズニーワールドを楽しんでいるわけで、そういう状況を言葉で端的に表現すると、「子供から大人まで楽しめるディズニーランド」になって、
そこではじめて「子供から大人まで楽しめる〇〇・・」という言葉が正しく機能することになる。
「楽しむ」ということは、その日その時の気分や周辺の環境などで、人それぞれ若干の温度差は出てくるだろうが、「ゲートを潜った」時から概念と趣向を共有する共同体が成立していることになるし、「ゲートを潜る」という行為が既に自分は「楽しむんだ」という強い意志をもっての行動になっていることになる。

どこにでもある単なるキャッチコピーのひとつに食いついて、何故こんな面倒くさい定義付けをしているかというと、まさに自分が現代彫刻小品展のお世話をしながら悶々と彫刻の展覧会の存在意義の霧中を彷徨っている真っ最中だからである。

彫刻展を見て頂いた方々のほとんどが通りすがりであったり、浜田世界こども美術館へ遊びに来た親子であったりすると、どう考えても彼らの強い意志でそれこそディズニーランドのゲートを潜るようなワクワク感をもって彫刻を見てもらえているとは思えない。
そういうことが分かっていながら、それでも「彫刻って云うのは結構楽しくて面白いものなんだ」などと発見してもらいたい気持ちもあって、制作者と鑑賞者の概念や趣向のギャップを少しでも埋めることが出来ないかとささやかに期待したりもしている。

そもそも、一年に一度あるかないかの小さな手づくり彫刻展と、天下のディズニーランドを比較するなど何の共通点も無い無謀なことなのだが、例の「子供から大人まで楽しめる〇〇・・」というその一点に絞れば、おおよそ立場は同等と考えて差し支えないようにも感じる。
つまり、何よりも彫刻が好きでたまらない、その彫刻を見ることができるなら仕事の有休休暇を取って、どんな交通手段でも使ってその展覧会へ馳せ参じるくらいの魅力ある彫刻とその展覧会と制作者と鑑賞者の概念や趣向を共有する共同体を作り育てることをすれば良いのだ。

私など、ヘンリー・ムーアの彫刻が上野に来た時、島根の片田舎から夜行列車に飛び乗って次の日、朝靄の上野公園にたたずむアーチを見た時、本当に感動した。
島根と東京との距離なんてどぉってことない。
田舎からチャーター便でディズニーランドへ出かける人々と全く同じノリだと思う。
ただ一つ違いをあげると、彫刻が大好きでたまらない人々が限りなく少ないと云うこと。
もっとも、彫刻家の中にもヘンリー・ムーアの彫刻の何処が良いのか全く理解出来ない方々も結構いらっしゃると思いますが、それは論外。

まっ、いずれにしても、今の日本は作家も含めて彫刻人口が少ないということでしょう。
彫刻に限って云えば、「子供から大人まで楽しめる〇〇・・」という状況がまだ確立されていないということになる訳。
作家同士の狭い世界でお互いの傷をなめあったり、妬み合ったりしているうちはダメということですね。
いろいろあぁーだこぉーだ云いたいことや好き嫌いは山のようにあるでしょうけど、ひとまずは手に手を取り合って「子供から大人まで楽しめる」利害関係のない彫刻共同体をつくったらどうだろう。
あんまりベタベタしすぎるのも気持ち悪いが、そうしたら、少しは彫刻で食える人が増えるかもしれないし・・
もちろん私もその一人。

以上、「子供から大人まで楽しめる彫刻展」なるものを目指して日夜作家活動をしようと思っているけど、すぐに安きに流れることを覚えてしまって、なかなか純粋になれないまま不純に磨きがかかりつつあるジジイに近いオヤジ正純の本音なのであります。

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