FC2ブログ

工房むうあと鉄の手仕事

鉄の彫刻家、吉田正純の手仕事、彫刻や展覧会の紹介、万善寺住職活動など、さまざまな日常を公開します。

ラップのおかげ 

2019/01/30
Wed. 23:42

小品彫刻展の会場で使わせてもらっていたショップが2日間休業日になるので、その間に彫刻の梱包を終わらせてしまうことにした。
例年だとそろそろ節分寒波がやって来る頃なので、天候の悪化が気になったが今年の暖冬は異常の部類に入っているから、いまのところ搬出作業に大きな支障は無さそうだ。
それでもやはり、小品の彫刻展とはいえ冬のこの時期に山陰地方でほぼ全国規模といっていい彫刻の展覧会を企画することはそれなりのリスクを避けられないところもある。
幸い、ショップ関係者の手伝いが期待できるので人手の確保は保証されるが、彫刻家から預かっている大事な作品を壊す訳にいかないから、小心者のチキンオヤジは胃がキリキリ痛む。

梱包の基本は搬入で彫刻が送られてきた状態を復元することだと思っている。
展覧会出品に協力を頂いている彫刻家の殆どは作家歴の長いプロフェッショナルであるから、やはり梱包の一つ一つが手慣れていて無駄がない。まがりなりに自分も彫刻家の端くれだから、梱包の状況で作家の力量が見える気もして、とても勉強になる。
もうずいぶん前のことになるが、有限会社の瓦工場で11tのトラックへパレットに積み上げた瓦の束を積み込む作業を目撃したことがある。その瓦の束は巨大なサランラップのような梱包材でパレットごとキリキリと巻きしめられてパレットサイズの立方体になっていた。知り合いの総務部さんへお願いして梱包の現場を見せてもらうと、パレットに乗せられた瓦の束がベルトコンベアーからそのまま巨大な回転台の上に移動してきて、その後高さが1mくらいのラップの円柱が軽く上下に動きながらくるくる回る回転台の瓦へ巻き付いていた。あの頃はまだエアサスペンションのトラックが珍しかったから、現場へ瓦が到着するまでに板バネでポンポン跳ねて割れてしまうことも頻繁だったそうだ。そういう、欠損のロスも含めてトラックへは受注枚数より多めに積み込んでおくのだと言っていた。
「瓦ラップのような便利な梱包材があると良いなぁ~」となんとなくあの時のことを忘れられないままでいたら、ある日、吉田家の土間でワイフがラップを使って古新聞を縛っている。
「ソレ何処にあるの?」と聞くと「100円ショップ!」と、普通に即答された。さて、かれこれ5年位は前のことだっただろうか・・・
もう10年以上も前から「あんなラップがあるといいなぁ~」と悶々としながら梱包を続けていたのに、その現物が100円ショップで手に入るという・・・
それからしばらくして、その気になって近所のホームセンターを巡ってみたら、梱包材コーナーのエアキャップの円柱の隣へ梱包用ラップがビッシリ並んでいた。

梱包用ラップだけのことでもなく、一般家庭の日常の暮らしがどんどん便利になってくる。彫刻の運送運搬も公募展へ出品をはじめた頃からすると、ずいぶん楽になった。
造形の工夫も、少し前までは安全な作品移動のことも含めて分解や組み立ての工法も当然のように造形の一部として組み込まれていて、そういう工夫はそのまま制作時間に上乗せされていたのだが、今はラップだけでもない接着剤や塗料など造形の展開で無理が効くようになった。
それでもボクの場合は、結局、便利に頼り切った彫刻はそれなりのモノにしかならないけどね・・・

IMG_3736.jpg

[edit]

CM: 0
TB: 0

page top

石見銀山彫刻小品展終了! 

2019/01/29
Tue. 23:55

約2ヶ月間続いた小品彫刻展が終了する。
2〜3日前から撤収搬出の準備をしながら過ごして、最終日会期終了後、それらを会場へ搬入した。
梱包材の補充や、ドライバドリルの充電や、発送伝票の記入など、それなりに細々としたことがあって、1日過ぎるのが早い。
今年は、幸い雪がないから準備が楽で助かった。

島根県は特に雪国というわけでもないが、普通に雪も積もるし冬型の気圧配置が避けられない地域だから、そういうところで冬のシーズンに展覧会を開催するということはそれなりのリスクを伴う。そういうこともあって今まで小品彫刻展を冬に開催することを避けて過ぎていたが、この度は石見銀山の衣料雑貨店が全面的にバックアップをしてくれるということでもあるし、開催するしないは、自分一人で決めてしまえば済むことなので一度は展覧会を「試してみてもいいかな?」と気持ちが動いた。
全国の作家から約半年間預かっている彫刻の管理が遺漏なくできていれば、あとは実動の殆どを自己責任で済ませることだけに集中する。
ショップ2階の一角を改修して造られた彫刻展示スペースはそれほど広くはないが、それでも照明や空調の施設は整備できているし、過去10年間の開催場所を振り返ると、いちばん画廊ギャラリーとして常識的に機能しているといっていい。
昨年11月に会場の設営をした時にも感じたことだが、展示した彫刻にどこかしら「品」のような雰囲気が醸し出されて心地よい空間になった。
期間中は、出品作家をはじめ、展覧会の関係者や友人知人の来場の他に、ショップや喫茶のお客様も含めたくさんの方に彫刻を見ていただくことが出来た。
石見銀山の地域全体が冬のこの時期には入り込みの観光客が激減する。単純に集客のことだけを考えるとリスクの大きいシーズンであるわけだが、工夫すると、それでも彫刻の展覧会が行われるという情報が流れることで彫刻目当ての入り込みが若干は稼げるということでもあるわけで、何もしないで会場を「遊ばせておくよりはマシ!」というふうに考えることもできる。
過去には、4〜5年の周期でこの時期に同じ会場で「吉田正純鉄の彫刻展」を開催してきたが、やはり、吉田が自分の個展だけでは集客に限界があると感じていた。ショップの関係者を頼ってたくさんの協力をいただきながら出来上がっている個展であるから、求心力の欠けた作家の力量の無さをどこかしら申し訳なく感じていた。
ちょうど個展開催の周期がまた巡ってきたし、これからあと何回自分の彫刻展ができるか先が読めない年齢にもなったし、吉田とその周辺の色々な事情の中で小品彫刻展の企画を個展へ合体させてみても良いかも知れないと思いついてショップの代表へ提案をした。
初の試みだったので、成果の反応はこれから少しずつ収集するしか無いことだが、自分としては、今回の小品彫刻展開催が出品協力を頂いた作家諸氏にとってプラスであれマイナスであれゼロでなかったことだけは確かなことだと考えている。
次回があるとすれば、会場スペースの限界もあるし、展示される彫刻の点数に工夫が必要であるような気もする。これから、機会を作ってオーナーの考えを聞き取りながら企画の精選を前向きに考えてみよう・・・
天候次第だが、1月中には作品撤収や梱包発送会場復元などを済ませようと思っている。

IMG_3734.jpg

[edit]

CM: 0
TB: 0

page top

チーン! 

2019/01/28
Mon. 23:43

門前の小僧習わぬ経を読む・・・

保賀の谷のあるお檀家さんでは、ここ数年の間におばあちゃんが亡くなり闘病中の奥さんが亡くなり、それからしばらくしておじいちゃんが亡くなり、昨年はお父さんが亡くなって、今はお孫さんご夫婦が3人のお子さんとお墓やお仏壇を御守りされながら暮らしていらっしゃる。
一般の常識で考えると「ご不幸が続いてさぞかし大変なことだろう・・・」と思われがちだろうが、長く坊主をやっているとそういうお宅はそれほど珍しいわけでもなく、その時々の巡り合わせでたまたま偶然にそれぞれの寿命が近いところで重なったということで、ご親族としてはそういう現状を納得して比較的冷静に受け止めていらっしゃることが多かったりする。
3人のお子さんはまだ小学生に通うほどの年齢だが、成長にあわせるように葬儀や法事が続いて、そのたびに何度となくお邪魔して同じお経を繰り返し読んでいるうちに、いつのまにか3人それぞれに2つ3つのお経を聞き取りで覚えてしまった。
この頃では、私がお邪魔するのを見計らって、鐘の合図や木魚のテンポにあわせて私と一緒に大きな声でお経を読んでもらっている。

万善寺の宗派は基本的に世襲ではないから、親子の関係がそのまま師弟関係である必要もないのだが、昭和の頃は長男が家の跡取りになることは当然の風習として認識されていたから、私の場合もその路線にピッタリとはめられたまま少年時代を過ごした。
それで、門前どころか身内家内の小僧としては毎朝毎晩同じお経をリピートすることが当たり前で、パブロフの犬の如く「チーン!」と鐘の音が聞こえただけで、その時何をしていても普通にお経モードにスイッチが切り替わっていた。
だいたい10歳前後で得度式をすることが多いのも、まだ子供が反抗期を迎えて親の言うことを聞かなくなる前にサッサと弟子にしておいたほうが都合良いという親の一方的判断によるものがほとんどだ。私の場合も、気が付かない間にマンマと親の常套手段に乗っていたわけで、結果、現在のナンチャッテ坊主に至ったという次第。

自分が望んで自らの信念で仏教へ向学心を持ったわけでもないから、ひとりの宗教家としては何から何まで適当で場当たり的な無学な坊主になってしまって坊主的プライドなど微塵もない。それでもやはり生まれ育った環境もあって、自分の成長の節目節目でそれなりの影響を受けていることも多々ある。
私の場合、日本的アニミズム思考は彫刻制作における造形の原点であり抽象的発想のよりどころとなっている。
自分の造形観は、有機無機問わず森羅万象万物に宿る気質気息の曖昧さに強くひかれる。
そもそもの仏陀に起因する仏教には偶像崇拝の要素がなかった。私はそのことにとても強く興味を惹かれるし、魅力を感じる。実態の説明や解説を期待しないことが素敵だと思いつつ、一方で何かしら具体的実態を求めているようなところもある。自分の彫刻は常にそういう矛盾を内在している。「チーン!」でお経モードにスイッチの入る不可思議さとどこかしら共通する気がしないでもない・・・

IMG_3613_201902091044195b1.jpg

[edit]

CM: 0
TB: 0

page top

哀愁の一輪車操業 

2019/01/27
Sun. 23:07

ワイフが休みだというので「温泉にでも行くか?」と誘ってみたら、パクリと食いついた。

ワイフの1月から3月は1年の中でも比較的暇な期間で、どうでもいいような(本人が知ったらめちゃくちゃ叱られるだろう・・)宛て職の年度末会議が頻繁になるくらいのことだ・・・ということは、収入につながる仕事がないということで家計がとても苦しくなる。そのうえ、年度末であったり申告の時期であったりして、膨れ上がった借金をチャラにしておかないといけないこともあるから、一輪車操業のボクとしては首が思うように回らなくなって心身ともにとても疲れるのだ。
だからというわけでもないだろうが、最近頚椎の圧迫が原因なのだろう肩から腕への痛みや指先のシビレがひどくて、鉄の仕事でクランプを握る握力が無くなったり、膝の関節から急に力が抜けたりして一気に老化が加速している。

たまには温泉にでもゆっくり浸かって身体の内から全身を温めてみれば現状が少しは改善するかも知れないとささやかな期待を胸に、午前中から少し遠くの温泉へ出かけた。
昼過ぎというより夕方近くになって帰宅すると、なんとなく1日の疲れがどっと出て何をする気にもなれない。ひょっとしたら温泉の湯あたり症状が原因かも知れない。ワイフも似たようなもので、二人で思い思いにゴロリと横になったらそれから夕方暗くなるまで眠りこけてしまった。
ネコチャンズのドタバタで目が覚めた。
ワイフはまだ寝ている・・・
1日中仕事らしいことを何もしないでいたのに、夕食が恋しくなる。
特に空腹を感じるわけでもないが何か食べないわけにはいかないから台所をのぞいてみると、シンクが洗い物で溢れていた。

それなりに一人暮らしが長かったから、家事のアレコレは特に苦痛を感じることもないのだが、その一人暮らしのせいで、自分の家事の癖のようなものが身に染み付いてしまっていて、たとえば食器の洗い物のこともそのひとつ。
男の生活の知恵で、アルバイトはとにかく「メシを食わなければいけない!」とマカナイに困らない飲食業や水商売をメインに渡り歩いていた。そのおかげもあって、食器洗いの工夫をその道のプロフェッショナルから厳しく教わった。その時は、食器を洗うくらいのことでそこまでシステマティックに神経質にならなくてもいいだろうと思っていたが、アルバイト先が喫茶店とかスナックからはじまってバーやクラブや焼き鳥屋まで何処へ行ってどの仕事をしても、なぜかだいたい似たり寄ったりの洗い物ルールのようなものがあって、言われたようにコツコツとその流れを押さえ続けていたら「お前なかなかできるな!」などとボスにおだてられたりして時給が若干上がったりした。
なにごとも、それなりの効率のコツというものがあるということだ。
それで、ポイントは、ザックリいうと最小限の使用食器を回転させるということ。流しに食器が溜まるとそれだけ洗い物が増えて時間も労力も光熱水費の必要経費も無駄が増える。一輪車操業はこぐのをヤメたらコケるしか無いのだ!ブツブツ・・・

IMG_3722.jpg

[edit]

CM: 0
TB: 0

page top

絵を描く 

2019/01/26
Sat. 23:36

油彩画はどうも馴染めなくて、学生の基礎科目で100号を描いたのが最後で、その後しばらく本格的に完成された絵を描くことがなかった。

島根へUターンを決めた時は家業(万善寺のことです)を手伝うことが主たる目的で生活の手段は何でも良かった。
学生の頃は職種を選ばなければすぐにアルバイトが見つかっていたから、島根に帰っても何処か寺の近所で適当な仕事があるだろうと簡単に考えていたのに、お盆仕事の手伝いで帰省したついでに職探しをしてみると、自分の希望に沿った労働条件など皆無。
結局島根の田舎では給料をもらいながら片手間に坊主を手伝うなどと都合の良い仕事が無いものだから、一念発起して本気になって半年ほど採用試験の勉強をした。
改めて「自分にできることは何なのだろう?」と考えてみると、絵を描くことくらいしか思いつかない。試験に必要だから久しぶりにデッサンや着彩の基礎を再開してみると、昔のようにチャンとした完成度には至らないものの、それなりに大事なポイントはソコソコ抑えられる程度までにカンを取り戻すことが出来た。

島根の社会環境の現実に直面した時は、もう造形の世界から縁を切るしか無いとほとんど制作を諦めていたが、何のこともない、就職が決まって5月の連休が終わる頃には1日中与えられた仕事ばかりしてボォーっと過ごすことに飽きてしまって、引っ越しの荷物の中から学生の頃に使っていた道具を探し出していた。それでもすぐに本格的な立体造形を制作できることにはならなかったが、平面造形で絵を描いたり限りなく平面にシフトしたレリーフを造るくらいのことはできるということに気がついた。
なにか頭を使ったり手を動かしたりしているだけで1日の色々な対人関係のストレスが軽減できるしずいぶんと精神的苦痛から開放される。造形上のコンセプトがどうとかテーマがどうとか、そういう面倒臭いことより、まずは何かしらの制作に没頭できるということが楽しみでもあった。私の様子を近くで見ているワイフの方も、なにやら材料を取り寄せて小物やクラフトを造るようになって、吉田家の家庭環境がしだいに工夫されて本格的な制作に取り掛かる地盤が少しずつ出来上がった。
特に本気になって制作環境を整備したわけでもないが、何かしら造りたいものを造れるための工夫を繰り返していたらそのうち最小限の道具や制作場所も揃ってきて、まぁ、それからいろいろあって今に至っている。

年が明けたからもう3年前のことになるが、縁があって1ヶ月に2日程度の割合で高校生の美術活動へ付き合うようになった。
そろそろ3年目が終わりに近づいていて、卒業生はあと2回位しか授業がない。最後の作品制作で数人が小さな油絵を描き続けている。描きたいものが決まっている生徒は脇目も振らず絵にのめり込んで悪戦苦闘している。描きたいものがなかなか見つからない生徒は美術小屋の天井を向いて焦点の定まらない目を泳がせて、これもまた別の意味で悪戦苦闘している。
みんなそれぞれだが、日頃のしがらみをしばし忘れてなにかに没頭できるひとときがあるということはとても大事なことだと思う。

IMG_3713.jpg

[edit]

CM: 0
TB: 0

page top

~のようなもの~ 

2019/01/25
Fri. 23:10

夕方に待ち合わせをして「新年会!・・・のようなもの・・・」をした。
調整は周藤さん。
美術公募団体二紀会のメンバー有志(~ということになっている)。
吉田の方は、石見銀山を起点に、近所のノリちゃんなどへ声をかけた。

島根県内で展覧会絡みの企画を運営してそろそろ10年になるし、自分のモチベーションや年齢のことも考えるとそれなりの潮時もみえてきたので、1年くらい前から仕事の規模を縮小して無理しないで乗り切れる程度に気持ちを切り替えた。
何かと便利に使っていたSNSの利用も減って、最近は大きな動きが無くなってきた。SNSも頻繁に各種諸連絡を回しているうちは経費や時間や事務など色々と都合が良いが、そういう事務連絡の必要もなくなると、知らなくても良い情報やどうでも良い広告ばかりが頻繁に続いてだんだんと鬱陶しくなってくる。
このところ冬とは思えないほどよい天気が続いて、どこかしら外仕事をしない冬の1日がもったいなく思えてしまうものだから、工場へ行けば行ったで青空工房の整備や鉄の廃材を仕分けたりでなかなか制作が本気になれないし、寺は寺で冬のこの時期に境内へ雪が無いことなど自分の人生で初めてのことだから、おもわず草刈り機のエンジンをかけたりしてしまう。

新年会(~のようなもの~)は、出席メンバーの都合で出雲市へ集合することになった。
そうすると、当然飲んだ後は銀くんで車中泊になるから、ソレ用のベッドが必要になる。
午前中はいつものように工場で過ごして、午後から寺へ移動して銀くんの寸法を測りながら現物合わせでスノコ状のベッドを造った。
作品梱包用の毛布などはだいたい常備してあるから、それらを使って隙間を埋めて、助手席のシートをフルフラットに倒して、その上にスノコを敷く。シュラフを用意して枕を積み込んで、寒さ対策にカシミアの毛布も追加した。あとは、飲み屋の近くのワンコインパーキングの然るべき場所へ駐車して、飲み終わったら朝まで寝てしまえば無駄がない。
準備万端整えて出雲市へ向かうころから冬らしい天気になって、飲んでいる間に雪になりそうな様子だ。
1番に会場へ着いた。それからタケちゃんが来て周藤さんが来てノリちゃんが来て、都合4人の新年会になった。
今年は春季展開催の年だから、制作の原案を持ち寄って検討会からスタート。久しぶりの冬型悪天候で風も激しくなったから、居酒屋の客もまばらでひそひそ話には好都合。
絵画のタケちゃんはかなり沢山のメモを用意していた。具体的な素材とか制作方法を変える必要は無いが、テーマの精選はすべきだと思う。まだまだ整理淘汰の余地が残されているように感じた。彫刻のノリちゃんは、彫刻表現の方向性を再考する時期だと思う。いずれはフォルムとしての彫刻造形上の堅牢さを追求することも必要になる。センスと技術は持っているのだから、それに流されすぎないようにしないといけない。周藤さんは自分で造形のことをよく考えているから、適当なところで満足しないように気をつけつつ、しばらくはこのまま乗り切ればいいと思う。ワイフには、飯を食べながらアレコレ話したし、あとはボクが自分のコトで妥協しないようにしないとね・・・コレが一番ヤバイ・・

IMG_2354_201902062110469f9.jpg

[edit]

CM: 0
TB: 0

page top

タンスの木の実 

2019/01/24
Thu. 23:43

通勤坊主の暮らしが普通になってきたから、それにあわせて彫刻の「棲み分けを考えても良いなぁ〜」と思うようになった。
どういうことかというと、道具や電動工具や彫刻材料とかその周辺のさまざまに関係する消耗品や備品を仕分けて、制作の基地を分散するということ。
鉄の彫刻とソレに関連する道具関係は今までの工場をベースに整備する。
木彫や石彫関係のモノは寺の方へ移動しておく。
梱包材や彫刻の展示台は工場の倉庫と寺の土蔵へ分割して管理する。
・・・そんな感じで、ザックリと仕分け内容を決めてからそろそろ1年になる。
通勤坊主の往復を利用して少しずつ関連の品々を運搬しつつ、制作のスケジュールが具体的に決まると、仕事がおおよそ形になるまでそれぞれの場所へ居続ける。時間のロスや光熱費などの必要経費も若干削減できて無駄な出費が軽減できたように思う。

ワイフはもう長い間吉田家の一番良い部屋を制作工房に占領していて動こうとしない。それで、ギリギリのスケジュールを組み立てても制作のシステムにブレが少ないからだいたい予測どおりに仕事がはかどって無駄が無い。
私も理想を言えば、やはりワイフのように制作工房は一箇所に絞っておきたい。そのほうが制作に対するモチベーションも安定して集中がいい。それはわかっているのだが、現実に坊主家業と彫刻家を使い分けながら暮らしているうちはそうもいかない。だいたいがヒマに暮らしてはいても、それなりにさり気なくささやかな悩みもあるわけです。

2月の下旬に個展の模様替えを考えていて、その時に新作を10点ばかり増やしつつ、今の彫刻配置を移動しようと決めている。その新作に七宝のパーツを組み込むことにしていて、試作も兼ねて制作した彫刻が3点ほど出来た。おおよそ当初のイメージ通りに出来上がったので、工法も含めて全体の迷いが消えた。
七宝は、関連の道具や材料などをすべて寺の方へ移動してあったから、パーツが完成するまで寺に居続けた。庫裏の一部を即席の制作工房にした程度のことだから、どこかしらやりにくいところもあって制作のストレスが解消できているわけではないが、それでも朝から晩まで一つ事に集中することが出来て疲労感も心地良い。

寺ではだいたいシャワーで済ませることが多いのだが、たまにはゆっくりと風呂へ入るのもいいだろうと、その準備をしながら着替えやバスタオルなど庫裏のアチコチに分散しているタンスや衣料ケースの物色をしていたら、冬用衣類の間から木の実がコロリと転がり落ちた。それほどたくさんの衣装持ちでもないし、いつもセッセと洗濯を繰り返しながら同じものを着続けているからタンスにしまいこんだ冬物は洗濯のローテーションにない。たまたま洗濯の回転が若干狂ったので着替えを物色したわけだが、ソレをしなければ、たぶん木の実は「次の冬シーズンまでそのままかもしれない・・」と思ったものの「さて、あの木の実を冬物の隙間へ持ち込んだのは何者だ?!」と気がついた。私が留守の間に万善寺へ居着いたヤツがいる。冬の間の食料で確保していたのだろう。どうせ近所の野ネズミの仕業だろうが、どこかしら微笑ましくもある。せっかくなので見つかった木の実は1箇所に拾い集めておいた。

IMG_3728_20190129204501d5b.jpg

追記:11月12日「周藤さんの彫刻
   彫刻家周藤豊治のファン微増!
   吉田正純の彫刻・・・「アレ、何ですか?」
             「アレはボクが造った彫刻です!周藤豊治の彫刻ではありません・・・トホホ・・」

[edit]

CM: 0
TB: 0

page top

珈琲の緑茶割り 

2019/01/23
Wed. 23:05

珈琲の緑茶割りが身体に良いと、何かの本(多分雑誌)で見た気がする。
記憶をたぐると「読んだ!」という気がしないから、広告か見出しか何かをチラリと見かけたくらいのことだと思う。
どうしてそれを覚えているかというと、珈琲が好きであるということ。それに寺の茶箪笥へ緑茶の詰め合わせが消費されないまま山積みに溜まっているということ。その2つの現実が、「珈琲の緑茶割り」で見事に頭の中で合体したことによる。

一般の概念というか大衆の常識というか、とにかく禅寺とお茶はとても親密で切っても切れない関係であると思われているようなところがある。それで曹洞宗の末寺万善寺も毎年のお中元やお歳暮でアチコチからその年の新茶が届くというわけ。
まずは仏様へお供えさせてもらって、そのお下がりをいただくわけだが、オヤジの一人暮らしではとても1年でその年1年分のお茶を消費することが出来ないまま、残った新茶が少しずつ古くなって溜まっていく一方になる。とても有り難い悩みであるわけだが、残念ながら住職である私自身が緑茶をあまり好まないこともあって、新茶が古茶に変わって、時々フライパンに移して煎り上げて即席のほうじ茶もどきにしたりするものの、やはりすべてを消費できなくて古茶が古古茶になってしまう。そういう寺の日常のこともあって「珈琲の緑茶割り」のフレーズを忘れないでいた次第。
珈琲は好きで毎日欠かさず飲み続けているから、それにひと手間加えて緑茶で割って、そういう飲み物がとりあえず我儘坊主の口に合えば、無駄なく緑茶の消費につながるし都合が良い。まだ余裕がなくて実践に至っていないが、近い内にブレンドの具合などを色々試してみようと思っている。

「喫茶去」は、もともと中国の禅僧のお言葉が始まりらしい。その禅的解釈を臨済宗開祖の栄西大和尚様が日本で広められた。そういうことから、禅宗というと「どうかお茶でも召し上がれ!」というノリの所作を想起されるようになったのだと思う。
昔は、お茶も漢方の一種で珍重されていたようだ。インゲン豆も隠元大和尚様に由来するらしいし、タクアン漬けも沢庵大和尚様が語源らしい。昔の方丈さまは、今でいうところの漢方医とか薬剤師的存在でもあったのだろう。
そういえば、書画仏画仏像彫刻、作詞作文など、坊主の表現観はなかなかレベルが高い。どの坊主もみんながみんな同じようにセンスや才能があるわけでも無かったろうが、宗教的修行だけで坊主の人格が形成されていたわけでも無い気がする。
もともと、仏教の根本は限りなく解釈の広がった抽象的で雲を掴むような混沌としたものであったりするから、昔々の偉い方丈様方はそれをいかに具体的な実践に置き換えるかということを真剣に考え試行錯誤していたのだと思う。
仏事様式を正確に伝承することも大事な修行であるだろうが、もう少しアバウトに振り幅を広げて坊主個々人の仏教観を模索してもよい気がする。近年は、坊主カフェとか坊主バーとか坊主ミュージシャンとか坊主フェスとか色々と営業を展開されている様子を見聞する。ある意味で、そういうことも布教活動としては大事な実践であるのだろうが、シャイで人見知りのナンチャッテチキン坊主のボクなど、コツコツと彫刻を造り続けることくらいしかできそうにない。それじゃぁ、とても積極的布教活動になってないね・・・

IMG_3649.jpg

[edit]

CM: 0
TB: 0

page top

ドッチがいい? 

2019/01/22
Tue. 23:51

1月は行って、2月は逃げて、3月は去って・・・アッという間に4月になる。
3月には上野で展覧会もあるから、その準備もそろそろ具体的に進める時期になった。

年度末の申告があるから書類の整理がてら寺にこもった。
1年分のコトを1日で片付けることも難しいから、まだまだ何日もこういう事務的なコトを続けなければいけない。ワイフはほとんど源泉徴収票で申告を乗り切る事ができるから私のような二重生活の自由業からするとずいぶん楽に申告が終わる。これも、毎年のことだからある程度の慣れも出てくるが、昨年は予期しない出費が重なったのでどんな集計結果が出るか心配だ。
まぁ、今更どうなることでもないけどね・・・それなりに、その日暮らしで飯が食えていたわけだから、それはそれでなんとかなっていたということで、有り難いことです。

このところ冬とは思えないほどうららかで過ごしやすい日が続いている。
こんな刺激やストレスのない天候が毎日続くと、もともと自堕落に怠け者のボクとしては精神の緊張感が退化してとろけそうになってしまう。それで、天気もいいし気持ちの切り替えも兼ねて、何年も前から気になっている畑の荒れ地を刈り込むことにした。
もともとは、田んぼの耕作をヤメて畑に切り替えたとき、その頃はまだ若くてバリバリ元気に農作業で働いていた母親が、その勢いを借りて大根を育てるようなウネを作ってセッセとサツキやらツバキやらアジサイやら色々な鑑賞木の苗木や挿し木を整然と植えたことからはじまる。とにかく、植物というものはしゃべらないし動かないし静かなものだが、それでそのままほったらかしにすると気が付かない間にどんどん成長して際限なく繁茂してしまう。だから、毎年維持管理を欠かさず継続しないと収集がつかないことになって、鑑賞に耐えられなくなる。母親は、そういう先々のことにまで責任を持たなければいけないということを予測できないまま目先の夢と理想を追いかけてしまったわけで、その結果が今の荒れ地になったわけだ。
ツルヤカズラの巻き付いた木の枝を払うだけでもかなりの重労働で、2時間も続けるとぐったり疲れる。1m四方を刈り込んだ枝木やツルやカズラを積み上げると、たったソレだけで自分の背の高さくらいまでになった。その山を見て力尽きた。

コーヒーを啜っていると、寒雀の集団がドッと古古米にやってきて賑やかになった。
そういえば、吉田家のクロが毎日飽きもせず裏庭を眺めている定位置のすぐ先にも石見銀山の雀たちがよく遊びに来ている。脱走を成功させたときに、何度か雀をくわえて帰ってきたことがあった。そのたびにワイフは狂ったように奇声を発して大騒ぎをしながら私へ救いを求める。クロとしてはワイフへのお土産のつもりなのだと思うが、それを彼女は素直に喜んで受け入れることができない。そのクロもそろそろ人間でいうと40歳位になって、メタボが気になるようになった。ボクとしては、たまには運動がてら脱走を黙認してやっても良い気もするのだが、ワイフがそれを絶対に許さない。

さて、植物と動物・・・上手に育てて上手に付き合うには、ドッチがいいのだろう??
結局ドッチもほったらかしにできないから似たようなモノなのだろうが、ボクはどちらかといえば動物が良いな。植物の物言わない不気味さがどうも苦手だ・・・

IMG_3701.jpg

[edit]

CM: 0
TB: 0

page top

クロとBazzi 

2019/01/21
Mon. 23:50

突然クロがものすごい勢いで飛び跳ねた。
それからしばらくのあいだ頭を小刻みに振ってあたりをキョロキョロ見ていた。
私はクロの隣で寝ていたのだが、それで目が覚めた。
正確に言うと、私が寝ていると吉田家の夜回りを終わったクロが隣にやってきて丸くなるということ。
だから、彼は私が気づかないままいつの間にか隣で寝ているわけ。
クロが突然飛び跳ねた時はものすごい衝撃だった。しばらく、自分の心臓のドキドキがおさまらなかった。
背中を擦ってやっていたら、ペロペロと身繕いをはじめた。気持を落ち着かせようとしているのかも知れない。
いったい、何があったのだろう?
電気をつけて部屋の様子を見たが、特に気になることもない。
「ネコって、夢見るのかなぁ〜・・」

最近になって、気づいたことがある。
昔は、夢を見ても朝になって目覚めた時は内容を全く覚えていないことばかりだった。
夢の中でなにかしていたりとか、なにかとても大事ななにかを見ていたりとか話していたりとか、そういうことまでは思い出すのだが、具体的に「なにか」がナニであったのかを思い出すことが出来ないまま、知らない間に夢を見ていたということそのものを忘れてしまっている・・・ということばかりだった。
それが、いつのまにか目覚めてしばらく経ってからでも夢の内容をかなり鮮明に覚えているということが増えてきた。
内容はその時々で色々。自分が若かったときのこととか、自分が見たこともない知らない場所にいたりとか、時にはわけのわからない彫刻を造っていたりすることもある。

ちょうど1年前は自分の人生で記憶に無いほどの大寒波がやってきて、飯南高原の万善寺は陸の孤島状態でえらいことになっていた。
とにかく、朝夕の参道の雪かきがたいへんで、たぶんそのときの労働が元になってしまったのかも知れない指先のシビレが直らないまま、今に至っている。夜に寝ていても、ふとした拍子に指先のシビレた感覚が気になってそれからしばらくのあいだ眠れない状態が続く。そういう、浅い眠りが増えたことで、夢の内容を記憶できるようになってきたのかも知れない。いずれにしても、確実に1年1年自分の老化が進んでいるということなのだろう。これから先は、自分の身体をできるだけいたわりながら無理をしないように暮らすようになっていくのだろう。

そんなわけで、夜中に起きていることが増えた。
目が冴えて眠れなくなってしまった時は、音楽を聴くようにしている。
かすかに何処かから音楽が聞こえてくるぐらいにボリュームを絞って聞き流している。
最近良く聞いているのはBazzi。アルバム1枚が40分ぐらいだから最後まで聴かない間にいつのまにか眠っている。

IMG_3726 (2)

[edit]

CM: 0
TB: 0

page top

家業本業 

2019/01/20
Sun. 23:32

朝から法事のお手伝いがあるので、前日から万善寺入りした。
珍しいほどの暖冬で、銀くんを境内まで入れることができるから、灯油をポリ容器5つ分ほど仕入れて寺まで運んだ。暖かいといっても、雪が降らないというだけで飯南高原の冬はそれなりに朝晩の冷え込みはいつもと変わらないで氷点下になるから暖房は欠かせない。

菩提寺の方丈さんは、いつもは松江の寺で暮らしていらっしゃる。
法事などの仏事のあるときだけ飯南高原へ帰っておつとめされる。お経のシステムが万善寺と違っているので、こうしてたまのお手伝いが入ると結構緊張する。
万善寺の場合は法事の数も多くないし、基本的に坊主家業が暇だから、法事が入ると途中で休憩をはさみながらお昼すぎまでのんびりとお経を読んで、お墓参りが終わって斎膳も1時間位は世間話をしながらゆっくりと過ごす。そうすると結局半日というよりむしろ1日仕事に近くなる。
今回のお手伝い法事はお昼すぎに全て終わった。寺へ帰ってからあとの時間に余裕ができて積み残しの作務がはかどった。それでも気がつけば夕方になっていてあたりが薄暗くなりかけていた。急いで斎膳の折弁当や法事のお下がりなどをまとめて石見銀山へ帰った。少しずつ日が長くなって来ているが、それでもまだ冬のことだから1日がアッという間に過ぎる。

2月になると節分があって立春がある。
例年だとちょうど節分寒波の時期なので今年の彫刻制作にむけてザックリとしたスケジュールを決め始めている。2月末には個展の彫刻へ小品を10点ほど追加しようと思っていて、そのためのパーツはすでに揃えてある。
3月に入ると、初午祭やお彼岸や母親の三回忌があるから、彫刻制作の日程を寺の仏事と調整することになる。予定では、個展の打ち止めに高さで2mチョットの大作を造ろうと思っていて、これもラフなかたちがだいたい決まっている。月末は上野の美術館で春季の展覧会が始まるから、その出品彫刻を考えているところだ。基本のコンセプトは継続しているから大体のことは大きく変わらないが、細かいことで幾つかやりたいこともあって、今はそのことで少々悩んでいる。悩みといっても、造るかたちが枯渇しているわけではないから贅沢なことであるが、それでも最終的に1点へ絞ることになってそれがつらい。個展のように、造りたいものを造りたいだけ造って片端から展示してしまって、その展示効果の中から反省を引き出すほうが気楽でいられる。
大きな団体展の場合、展示スペースの関係で基本的に作家はひとり彫刻1点出品が暗黙に決まっているようなところもあって、それを守っていると例えば大作が1年1点、小品も1年1点ということになって、そのための試作などを含めても、彫刻大小せいぜい1年5〜6点の新作が造れるかどうかになる。10年間出品を続けても50点くらいしか彫刻を制作していないことになって、その程度ではテーマとか表現の推敲が断続的に継続されているだけで、モチベーションの維持管理が難しい。私のような飽きっぽい性格だと、彫刻の深みは期待できないし、サラリと技術や技法に流されてしまう。そういうことを避ける意味もあって、定期的な個展を大事にしているところだがさてあと何回できるかな?

IMG_3712.jpg

[edit]

CM: 0
TB: 0

page top

あの頃のボク 

2019/01/19
Sat. 23:46

駅の北口へ出ると正面に映画館があってそのすぐ右から北へ向かって商店街が続いている。
少しほど下り坂になっている商店街の道はインターロッキングになっていて次の四つ角まで続いてそこで終わる。
家並みの隙間から差し込む西日に照らされた塵が絶え間なく舞っている。
四つ角を右に回ると背中に西日が当たってなんとなく暖かい。環状線の大通りへ突き当たったら通り沿いに左へ曲がってバス停を2つ歩いた少し先から斜め左の路地へ曲がる。
その路地の先はT字になっていて、突き当りに酒屋がある。
8畳くらいの狭い酒屋は向かって右側の壁に沿って業務用の冷蔵庫が据えてあって、中にはビールとか冷酒と一緒にジュースやコーラなどが冷やしてある。冷蔵庫の左隣には冷凍庫があってアイスクリームとか氷の袋が入っている。通りに面したガラスのショーケースはがラス板で上下二段に仕切られていて、上の段にはおつまみの袋が種類ごとにまとめて並べてあるが下の段はほとんど何もなくて右の端へダンボールの小箱が寄せてある。おおよそ真ん中あたりに奥まで続く通路のようなスペースがあって、左側にあるスチールの骨組みと薄い合板を組み合わせた移動式の棚には、ワンカップの瓶や缶詰やソーセージや菓子パンなどがビッシリと並べてある。
スチール棚の奥の壁沿いには作り付けの棚があって、洋酒や日本酒が並べてある。
通路になっているスペースの突き当りの左側に小さなカウンターがあって、レジスターが載せてある。
カウンターの後ろは狭い廊下でその向こうに座敷がある。
カウンターの右側の板壁にはアサヒビールとかキリンビールなどのポスターが張ってある。どれもかなり古くなって煤けて黒ずんでいる。
その前には細長い木製のテーブル。椅子はない。テーブルの長辺は通路スペースと冷蔵庫に冷凍庫、短辺に板壁とガラスケース。テーブルを中心に人が一人周囲をグルリと回ることができるほどのスペースがある。テーブルの上に孟宗竹の節一つを底に使って輪切りにした箸立てがあって袋入りの割り箸がビッシリ詰まっている。テーブルの下には四角のポリ容器が2つほど置いてある。
そのテーブルに向かって3人の男が立呑をしている。一人はワンカップの酒。あとの二人は缶ビール。テーブルにはつまみの袋が2つ3つ空いていて、ワンカップの男はなにかの缶詰を割り箸でつついている。缶ビールの二人は知り合いのようで、テーブルを挟んで向かい合ってなにか小声で話しているが、ワンカップの男は一人で飲みながら時々店のおかみさんと話している。
酒屋の右側に細い路地があって、少し先にペンキで黒く塗った鉄製の階段が見える。
何気なく酒屋を覗いたらカウンターのおかみさんと目があったので軽く会釈した。それから路地に入って階段を上がると真正面から家並みの隙間をすり抜けた西日がもろに目に入って周囲が黄色く光った。子供の声がして小学校のチャイムが鳴った・・・
耳元で「ニャァ〜!」と猫が鳴いた。鳴き声に聞き覚えがある・・・クロの声だ。西日が眩しくて目が開けられない。「チリン!」今度は鈴の音がした。「アレッ??なんでクロがいるんだ??」・・無理して目を開けると天窓から朝日が差し込んでいる。眩しい・・・クロがまたニャァ〜と隣で鳴いた。
夢だった。とても懐かしい夢だった。酒屋は大家さんであの頃のボクは長髪で髭面だった。

IMG_3715.jpg

[edit]

CM: 0
TB: 0

page top

パシリ坊主 

2019/01/18
Fri. 23:27

庫裏玄関の脇にあるブリキの安っぽいポストがぐにゃっと平行四辺形にねじれ曲がるくらい無理やり紙の手提げ袋が詰め込んであった。
それをまた無理やり引っ張り出すと、ポストが微妙に傾いたのでそれを元に直そうと無理やりねじったがどうも直らない。
たぶん裏の止め金具かネジのようなものがズレたまま何処かに引っかかってしまっているのだろう、そのままでもポストの機能に大きな障害があるわけでもないから、ひとまずそのままにしておくことにした。

紙袋は、町内上組分の回覧板だった。
1ヶ月に1回ほど、行政や各種団体の定期通信がまとまって配布されてくる。
「上組班長」という役職の使いっパシリをしていて、またその用事が回ってきた。
1年で隣へ1軒ずつ役職が交代しながらエンドレスで回ってくるから、上組の場合順当に行けば5年後に次の班長が巡ってくることになる・・・が、万善寺住職の吉田は、すでに3回目の班長を務めていて、ソレにプラス公民館長1年、会計1年を務めている・・・ということは、毎年何かの役が回って来ていることになる。
その、役員交代を兼ねた常会が3月下旬に保賀の集会所で開催される。ちょうど、その時期に毎年東京で彫刻のグループ展が重なるから、基本的に常会は欠席することになる。結局は誰かがナニカの役職を引き受けないと町内の自治が回らないから、よっぽどのことでもないと「NO!」と言えない。それで、はじめのうちは欠席裁判のようにコトが決まって「万善寺さんは○○職が回ってくる番でしたけぇ〜・・」などと、常会の決議事項を後日知らされて、それで次年度の1年が回り始める。
「これって、ちょっときついなぁ〜・・・」と無い知恵をし絞って、「上組の皆さんの同意がいただければ、しばらく班長を固定していただいて構わないんですが・・・そうしていただくと、こちらとしても助かることもあったりして・・・」
役員交代と事業報告の常会の時に提案してみると、若干アレコレあったが比較的すんなりと「まぁ、そういうことでしたら・・」よろしくということになった。

少年時代は、保賀の谷で全戸30軒の世帯があって、家族を数えると人口はかるく大型バス1台分をはるかに超えて、年の節目の行楽事業や神事催事は子供大人ジジババまでみんな集まって大賑わいだった。
今の常会の当て職は、その頃から延々と引き継がれた決まり事がベースになっていて、誰もそれに異論や対案を示さない。昨年に絶縁の家が1軒増えたから、今年度は戸数が20軒を切った。高齢者の独居も4軒ほどある。それに常時空き家もあるから常会も欠席世帯が増えていてこういう状態で当て職を回転させるとなると、もう自治会の円滑な運営に支障をきたすことが目に見えているから、さり気なく何気なく目立たないように上組班長の輪番を解体した次第。
このまま、もうしばらく同じように回覧板や集金のパシリを務めたら、そのうちソレが普通になって、誰も気にしないまま時が過ぎ、気づけば上組どころか町内全戸の「パシリ坊主」に昇格する日が近いかも知れない。
たった20軒くらいのことだから、保賀の役職の統廃合で分担を軽減することが今の密かな企みであるわけです・・・

1

[edit]

CM: 0
TB: 0

page top

百千万劫難遭遇 

2019/01/17
Thu. 23:34

見事に雪が降らない。
雪を当てにしてわざわざ冬シーズンの個展を決めたのに、完全に予測が外れてしまった。

彫刻制作はライフワークのようなものだから、何をするにもだいたい四六時中なにかしら彫刻のことを考えたり思ったりしている。1年を均すと自分の頭の中に全く彫刻のことを思わない日はほとんどない。
今の個展で造った彫刻も、そうやって何年も前からコツコツと考え続け、造形のシミュレーションが少しずつ次々変化を繰り返した結果のかたちになっている。
前回の個展から数年経って、見た目のかたちは前回と全く関連性のないように見えるかも知れないが、自分の中では切れ目なく連動してブレのないテーマのコンセプトを維持出来ていて、今の彫刻は確実にその延長線上に位置している。
いずれにしても、自分の造形観は俗にいうところの抽象彫刻に分類され、そういうタイプのかたちを造り続けているから、一般の価値観とか概念では「よくわからん!」とか「理解できない!」領域に属しているはずだ。

面倒臭いことを云うと、自分の彫刻は基本的に「造形による表現」であるから、彫刻の説明を文字や言葉など別の表現手段に頼ることは無意味に思っている。
それでも、一個人の表現者として限りなく意固地に自分だけの世界へ閉じこもってばかりいるということも大人げない気もするから、なにかの機会に自分の造形とか表現の根拠を問い掛けられたりすると、相手の認識領域を探りながら出来るだけその路線に沿ったふうに言葉や文字など造形以外の表現手段を工夫しながら自分の造形コンセプトを伝えようと努力はしているつもりだ・・・とかいっても、現実は毎日の日常でそういうコトを気遣ったり具体的に伝えたりするような機会は皆無に近い。
わざわざ吉田の彫刻個展を目指して見に来てくれるみなさんにとっては、実に不親切な彫刻展であると自覚は出来ているつもりだから、何か意味不明のこと(・・ばかりだろうけど)は遠慮しないで問い合せていただいて一向にかまわない。
自分的(自分の主観)に云うと、「抽象」の概念は「個々の具象の集積と精査の延長にあるもの」としてとらえている。だから、抽象の造形は表現者一人ひとりの興味関心や価値観の認識の相違分だけ存在するということになる。
一つ一つの具象要因や具象素材を収集追求し、その先にある関連した要因を抽出し、系統建て分類し、そういうコトの取捨選択を繰り返した先にもうソレ以上精査できない最終の要素がボンヤリと浮かび上がる。
自分の造形表現はそういうことの繰り返しの行為の証明として存在するにすぎない。願わくばその造形に少しでも美的要素が内在できれば有り難い。

宗門のお経にある「開経偈」の一節に、「百千万劫難遭遇」とある。「百千万劫」は、数の単位と略していいだろう。ボク的にザックリいうと永遠に続く「無限大の時間軸」のようなことである。「難遭遇」は、遭遇は難しいことだ!ということで、まぁ、仏様の法はそれほど奥深くて有り難いものなのだ!!となる。
自分の造形は、ボンヤリとした自分の宗教的形而上抽象をジタバタとかたちに置き換えているだけだ。抽象も仏様の法の如く奥深いものだと今更ながら痛感している次第です・・

IMG_6667.jpg


[edit]

CM: 0
TB: 0

page top

コリコリオヤジ 

2019/01/16
Wed. 23:38

しばらく前まで冬にしては暖かい日が続いていた。
2〜3日前は3月中旬の陽気になったりして、少し動き回ると汗ばむほどだった。
暖かいことは良いことなのだが、着るものや寝具の調整がうまくいかなくて「ちょっと寒いなぁ〜」と夜中に目覚めると布団がゴッソリはねのけられて身体中が冷え切っていたりする。昨夜は、ワイフが一晩中コツコツと咳をしていた。今はネコも人間も男同士女同士で別々に寝ていて家庭内別居状態でいるから、睡眠中も自分のコトは自分で責任を持ってもらわないと困る。先週の土曜日は、坊主家業ではない新年最初の出稼ぎ仕事がインフルエンザの流行でキャンセルになった。人混みへ出ればインフルエンザ感染のリスクも増すし、こういう場合は自宅と寺の往復ぐらいに用事を絞っておきたい。

年始の慌ただしさは落ち着いたものの、毎日何かしらの用事があってゆっくりと休養することのないまま半月が過ぎた。
「明日は決まった用事もないから1日休むことにするから・・」
夕食の時にワイフへそう宣言して寝る準備をしていたら保賀の役員さんから電話が入った。年末に回覧した書類に間違いがあったのでその修正版を再度回覧し直してほしいということだった。電話でのことでよくわからないが、文言や期日の間違い程度のことなら電話の言い次伝言で済むことだろうにと思ったが、一応「上組班長!」の肩書があるものの実態は「ただの使い走り」としては「イヤだ!」と断るわけにもいかず、せっかく楽しみにしていた「ボクの休日」が見事に消えて無くなった。
石見銀山の朝は、久しぶりの雪がハラリと舞い落ちていたから飯南高原は本格的な雪になっているだろうと、覚悟しながら通勤坊主で移動した。
確かに雪は降っていたが難なく銀くんを境内まで上げることが出来た。
用事はすぐに終わって、ついでに洗い物の家事を済ませてから、もみ屋さんへ予約の電話をしてみると「ハイ、その時間でしたら大丈夫ですよ。空いてます!」ということだったので、即予約した。昨年末から何度も予約してフラレてばかりだったから半日の予定が決まって気持ちが少し華やいだ。
雪の舞う国道を出雲へ向けて走らせていると、神戸川の支流から本流へ合流したあたりから道が乾いていた。車で1時間も移動していないのにここまで天候に差がある。不便な山里の冬に比べると雪のない日常は何かにつけて過ごしやすいことだろう・・・

「身体全体硬いですねぇ〜」
1時間の全身マッサージが終わって肩をモミながらそう言われた。「また、近い内に来てください。お待ちしてます!・・お水タップリ飲んでおいてくださいね!」
あれだけ身体が硬直していたら、もみほぐしはあまり日を空けないでしばらく集中して続けたほうが良いということだった。まぁ、営業もかなりタップリ入っているだろうが、それでも1時間ジックリ揉んでもらうだけで身体が少しは軽くなる。
支払いを済ませて外に出ると出雲の上空はすっかり晴れて良い天気だった。飯南高原の方角を見ると、厚い雲が中国山地の稜線を隠している。きっと万善寺は雪だろう・・・
島根県中央部をぐるっと一周して帰宅すると、ワイフは夜の会議で出かけるところだった。買い置きのパンと牛乳で簡単に夕食を済ませつつ、デスクトップをつついて1年前の写真を見ると、今日の万善寺とは全く様子が違っていた。
どう考えても今年は暖冬だ!

IMG_2626.jpg

[edit]

CM: 0
TB: 0

page top

とまり木 

2019/01/15
Tue. 23:12

少し風はあるが、それほど寒くもないから庫裏の空気を入れ替えようと、アチコチの窓を開けた。
飯南高原の冬は、だいたい雪が積もるからそれなりに湿度もある。そのうえ、締め切った家内で暮らしていると朝晩煮炊きもするからよけいに湿気がこもる。内も外も湿気だらけでどうしようもないが、それでも窓を開けて風を通すと澱んだ部屋の空気が入れ替わってスッキリする。
性格もあるのだろうが、どうも建具を締め切って薄暗い部屋に閉じこもるより内も外もなくフルオープンに開放感のある方が好きだから、こうして冬の寒い時期でも庫裏から本堂の入り口が見えるくらい素通しの状態で過ごしている。
結局はオヤジの一人暮らしで誰も文句を言うヤツもいないからこういう暮らしが出来ているわけだが、これで四六時中隣にワイフでもいたりするとこういうわけにはいかないだろう。いずれにしても、ソコソコ身体の動くうちは若干不自由なことはあっても気兼ねのない毎日を過ごすほうがストレスもたまらなくて調子がいい。

洗面所の窓を開けると、すぐ目の前にオノレバエで大きくなった柿の木と雑木の枝が茂っている。今は葉を落として向こうの景色が素通しだからそれほど気にならないが、春になって若葉が芽吹き始めると見る見る見通しが悪くなって鬱陶しくなる。それで、その時は枝を切り払おうと思うし根本から切り倒してしまおうと思うのだが、そのうちだんだんと葉の茂った景色に目が慣れてしまって「どうせなら、秋になって葉が落ちてから切り払ったほうが始末も楽だから・・」と気が変わってひと夏すぎるまでやり過ごしてしまう。そして、秋になる頃には枝木の刈払いのことなどすっかり忘れていて、そのうち葉が落ちて向こうの景色が素通しになると、特に鬱陶しく思うこともなくなってそのまま次の春になってしまう。こういうコトが繰り返されてもう何年にもなる。
今は、その柿と雑木の枝が寒雀の休憩所になっている。
捨てるのももったいないからと、虫の入った古々米の処分を雀たちに任せているところで、ちょうどその餌場近くに都合よく柿と雑木が枝を広げているものだから、彼らの食事時が重なると保賀の谷から集まった雀たちが鈴なりになって枝がしなる程になる。そういう光景を洗面所の窓からのぞき見ていると「特に急いで切り倒さなくてもいいか・・」と云う気になる。

万善寺も、この数年で裏山が境内まで迫ってきた。このまま見過ごせばそのうち座の下から筍が伸びるかも知れない。
もう何年も前のこと、万善寺営繕のことでツイツイ近所のおじいさんへソレを愚痴った。
「雑木は無理して刈り倒さんでもええですけぇ〜ねぇ〜」
そのおじいさんは、若い頃山仕事で暮らしていたから、山事情に詳しい。
「植林の枝打ちと間伐が先ですがぁ〜。雑木はどうせ4〜5年のうちに生え変わりますけぇ〜」なのだそうだ。根が浅いから夏の暑さでヤラれ、冬の雪でヤラれ、大きく育つ前に生存競争で淘汰されて長生きできないのだそうだ。それで腐った枝木や落ち葉が堆積して腐葉土になって山が肥えて都合が良いのだそうだ。
今はそのおじいさんも他界されて山の話を聞く手段も絶えた。

IMG_3694.jpg

[edit]

CM: 0
TB: 0

page top

三界萬霊 

2019/01/14
Mon. 23:57

たぶん、万善寺の現住職(ボクのことです!)が保賀のとんど祭でお経を読むようになってからはじめてのことだろう・・・こんな良い天気!
お正月の月半ば頃は、だいたい周囲全体雪景色で、暴風雪が続いていたりするのに、今年は高層の筋雲がひと刷毛浮かんでいるくらい。
風が少々強くて大般若経の経典をめくることが出来なかったくらいどぉ〜ってこと無い。
とんどのお焚き上げも一瞬で煙に変わって、天にたち昇っていきました。

お昼からは保賀の新年会がはじまるので、万善寺住職は急いで寺へ帰って大衣をたたんで自由服に着替えていると、すでにみんな集まって準備万端「方丈さんを待っとりますけぇ〜ねぇ〜」早く来い!と電話が入った。
一升瓶を1本とお供えしてあった羊羹の箱を抱えて集会場へ行ってみると、一番上座が空けてあって「方丈さん、はよう座って、はようはよう!」と急かされた。
たいして偉くもなんともないナンチャッテ坊主ごときが一番上座へ座らされるのもどうかと思うが、先代からの慣わしもあるので気にしないことにした。

「墓地の端っこに石塔がありますがぁ〜?うちの宗派じゃぁ見かけんですが、禅宗さんのお墓にゃぁ〜だいたいありますがぁ〜?ありゃぁ〜、なんちゅうて書いてありましたかいねぇ〜、サンやらマンやら字があったような??・・・」
この2〜3年のうちに相次いで町内の長老クラスが他界され、一気に長老格へ駆け上った感のある中組のおじいさんが、私の目の前で一杯やりながらしきりに質問される。どうも内容がよく飲み込めないでいろいろと苦労しながら話の糸を繋いで、やっと「三界萬霊」にいきついた。絶対!というわけでもないが、確かに浄土真宗さんの多い飯南高原では、墓地に三界萬霊塔が建立されることが少ない気もする。
「あぁ〜〜、それ、サンガイバンレイね!・・ハイハイ・・あの石塔は信心供養の気持ちの現われですから、あまり宗派は関係ないと思いますけどねぇ〜」と、だいたいの意味をおじいさんがわかりやすいように解説することになった。近所で暮らしていても、こうして面と向かって会話することなどめったに無い事だ。なにか新年会で昼間から気楽に飲み食いして、寺へ帰ってバタンキューを決め込んでいたのに、それどころではなくなった。

「三界萬霊」の発想そのものは、宗教的形而上において抽象性レベルの高いところで定義づけされていると思う。それをどうやってわかりやすく形而下の具体的要素に置き換えて解説するかとなると、ナンチャッテ坊主は役不足だ。とにかく、大汗かきながらアレコレ手を変え品を変え話してみたが、おじいさんが納得できたかどうかはわからない。
坊主的解釈でいうと、色界、無色界、欲界の三世界を意味付けることが多いと思うが、この解説がなかなか至難の業でボクには無理・・なので、おじいさんにはわかりやすく過去現在未来の三世界のことを云うのだと話しておいた。
今の自分のこともよくわからんのに、前世がどうとか来世がどうとか考え始めたら夜も眠れなくなる。まずは三界萬霊塔を建立して「三世界全部ひっくるめて供養信心しておけば間違いはないのだ!」というわけ!・・ずいぶん乱暴なことだが、そもそも抽象表現の根本は「如何にして単純化を追求するか!」ということではないかとボクは思っている。

IMG_2821.jpg

[edit]

CM: 0
TB: 0

page top

鏡餅のいき場所 

2019/01/13
Sun. 23:42

お供えの鏡餅を下げると30個近く集まるので冷凍庫を整理した。
底の方にはちょうど1年前に同じようなことをして保存しておいた去年の鏡餅がまだ残っていた。とにかく、そういう古いものからなんとかして消費しないとスペースの確保が難しいから、一度中の物を全部取り出してみた。
いらないものがあるだろうと思っていたらそうでもなくて、みなそれなりに捨てるにはもったいないものばかりだったから、オヤジの一人暮らしで使い切ることを目標に、アレコレ見繕って冷蔵庫の方へ移し替えた。

今日も朝から良い天気で、本堂の荘厳を片付ける間ストーブがなくても全然寒くなかった。
お供えのお下がりを何往復もして台所まで運んでから、しめ縄とか松竹梅を撤収してとんど祭でお焚き上げできるように一つに集めた。最後に荘厳を取り払っていつもの須弥壇に戻ったのはお昼を少し過ぎた頃だった。
人の好みとか趣味にもよるだろうが、私はとにかく何事もシンプルで質素な方が好きだ。基本的な荘厳の決まり事は宗派の常識として周知されているから、だいたいそれをお手本にして坊主個人の好みは二の次であることが大事ではある。住職は宗派の常識を元に荘厳を整えることが当然の義務であることもよくわかってはいる。それでも、やはりボクなりの美意識のようなものもあって、どうもそういう画一的な様式美を素直に飲み込むことが出来ない。前住職が健在だった頃は師匠の言付けを粛々と守って言われたようにコトを進めていたが、今は後にも先にも荘厳作務一式全て現住職である私の一存で仕切っているから、建前はソレとしてひとまず置いておいて、自分の本音を優先することに気持ちを切り替えた。常日頃は近所から信心のお参りがあるわけでもないから、自分が一人で一切合切責任を持って心得ておけばソレでいいと云うことにしてある。

本堂での作務を終わらせてから昼食の支度に取り掛かった。
つい先日まで三度の食事をワイフが用意してくれていたから、今もそのくせが抜けきれなくてなかなか食事の1品を作る気になれない。
冷蔵庫を開けたら、冷凍庫から移動しておいた幾つかの食材が解凍されていた。
好きでよく買う砂肝も良い感じで解凍されていたから、お昼はそれをメインになにか作ることにした・・・と、そこまでは決めたのだが、さて何にしようかなかなか決まらないまま、とにかく、まずは砂肝に包丁を入れることにした。気持ちが乗れば「絶対塩焼きだな!」と、一瞬閃いたが、塩焼きだとやっぱり串に挿して「炭焼だよね!」と気持ちが次に飛んで、そういえばワイフが竹串を何処かに仕舞っていたはずだ・・と思い出して、台所のそれらしき場所をアチコチ探したが結局見つけ出すことが出来なかった。まな板の上で二つに切り分けられた砂肝を眺めてしばし迷ったが、そのうち塩焼きのために炭を火起こしするのがだんだんと面倒臭くなってきた。それで、結局いつもの手っ取り早いアヒージョに落ち着いた。ワイフが差し入れしてくれた手作りパンもまだ残っているし、そのパンに砂肝エキスの滲み出たオリーブオイルを付けて食べたら美味そうだし、簡単だから「そうしよう!」と決めた。「コレにワインでもあると最高だなぁ〜」と一瞬そう思ったが、さすがに昼間から一杯やるのは気が引けて、それは断念した。

IMG_3688_201901141942351c4.jpg

[edit]

CM: 0
TB: 0

page top

セロテープと障子糊 

2019/01/12
Sat. 23:56

2日半の徹夜分を取り戻すようにひたすら眠り続けた。
早朝の保賀の谷は、雲はあるが山陰の冬としては良い天気といえるだろう。

寺の正月の習慣を続けていたら、最近は毎日朝食をとるようになった。もうずいぶん長い間朝食抜きの暮らしが続いていたのに、どういうわけか今度の正月以来オヤジの一人暮らしになってから後も、なにかしら朝ごはんになるような一品を作っていたりする。まぁ、普通に三度のメシを食べるということは一般的に悪いことでもないだろうから、あまりストレスにならない程度に続けてもいいかなという気もしている。

11日も過ぎたし、本格的に正月のお供え物や正月飾りを下げたりしなければいけないと思いつつ、それでも身体がなんとなく重たいものだから読みかけの文庫本を開いたりしてグダグダしていたらお昼近くになってしまった。
「コレはマズイ!」と気を取り直して、まずは身の回りの家事から片付けることにした。
台所で使いまわしている布巾代わりのタオルなど洗濯物が少し溜まっていたので洗濯機を回した。それから、灯油ストーブのタンクへ灯油を補充したりゴミの仕分けをしたりした。
重たい身体を騙しながらモタモタとそういうコトをしていたら何かの拍子に小指の爪をどこかで引っ掛けたようで爪が3分の1ほど剥がれた。血がにじんできたので絆創膏を探したが思いついた場所に見当たらない。もう1年以上も前に一箱開けてそれが使い切らないまま残っているということは間違いなく覚えているのだが、それを何処へ仕舞ったのかそのコトを覚えていない。仕方がないから、セロテープで応急処置をして近所のホームセンターへ走った。

絆創膏を探している時に障子糊を見つけた。
前々からお経本の折れ目が破れてバラバラになりそうだったのをダマシダマシ使っていたのを思い出して、この際一気に「お経本の修繕をしよう!」と決めた。
前住職はセロテープで簡易的に補修をしていたものだから、使いにくくてしょうがなかったことを思い出した。やはり折れ目の補修は和紙でないとダメだ。
特に何に使うかと決めたわけでもなく、御札製作でサイズからはみ出した余分を捨てないで仕舞っておいたのを取り出してダイニングテーブルを作業台にした。
空の雲が少しずつ切れて、台所へ西日が差し込んでくる。
時折、寒雀の集団が古古米を食べにやってくる。
作業のバックミュージックには、YouTubeからエンドレス配信の音楽を選んでおいた。

正月の荘厳を復元しょうと思っていたのに、お経本の修繕が思った以上に長引いてしまったので、そちらの方は1日ずらすことに決めた。14日は保賀のとんど祭があるから、前日に寺のコトを終わらせておけばまだ間に合う。
夕食用にテーブルを片付けて台所仕事をしていたら、小指の絆創膏がポロリと落ちた。やはり、安い絆創膏はダメだ。血の方はとっくに止まっていたが、爪の剥がれたところがヒリヒリと痛い。「夕食何にしようかなぁ〜・・」小指をしゃぶりながらしばし悩んだ。

IMG_3687.jpg

[edit]

CM: 0
TB: 0

page top

冬のネコチャンズ 

2019/01/11
Fri. 23:58

不摂生の徹夜をしたおかげでお昼すぎには郵便局へ行くことが出来た。
週末ギリギリの滑り込みセーフになった。
ワイフが三度の食事を世話してくれなかったら、週末の発送が間に合わなかっただろう。
そのワイフは、昼食を食べたら直ぐに仕事へ出かけた。
彼女はフリースクールの非常勤もしていて、なかなか学校へ行けない子供たちの話し相手になっている。
自分では「特にこれといって何するわけでもないけどね」といっているが、それなりに気疲れもあるだろうし、普通に簡単に引き受けられる仕事でもない気がする。

郵便局から直接万善寺へ向かって、まだ日のあるうちに寺へ着いた。
昨年の強烈寒波が嘘のように穏やかな毎日が続いている。それでも日本海側の気候だから曇りがちではある。その雲の御蔭で気温がそれほど下がらないから都合がいい。
寒雀の群れが庫裏の西側へ集まって賑やかに鳴き騒いでいる。
吉田家のデスクワークでしばらく寺を留守にしていたから、古古米を食べ尽くしてしまったのだろう。
とにかく、不摂生でかなり体力が消耗した。雀に古古米を補充して、それから風呂へお湯を入れた。湯船に浸かると一気に睡魔が襲ってきて、ウトウト寝てしまった。
ゆっくりと時間をかけて温まったので、少し身体が楽になった。
ワイフが仕事で出かける前に夕ご飯用のおかずなどを用意してくれたので、それをレンジでチンしたりお湯を沸かしてインスタントのスープをつくったりして早めの夕食にした。
台所を即席の壁で半分に仕切った寝室へ移動してベッドへ横になって、すぐ隣のテーブルに置いてある寺の寺務用デスクトップを起動した。
連休の最終日に保賀のとんど祭りがあるから、その準備に過去データを探し始めたところまでは思えているが、その途中でいつの間にか寝てしまったらしい。
気がつくと4時間位寝てしまっていて、その間に珍しくワイフから幾つか電話が入っていた。もう夜が遅いし、朝になってから返信の電話をすることにした。

今頃、ネコチャンズはどうしているだろう?
こんどのことで吉田家へ帰った時は、何年か前に鉄板の廃材で造ったネコチャンズチェアーで仲良くくつろいでいた。冬の間はストーブの近くへ移動しておく鉄板製のネコチャンズチェアーは、ストーブの放熱で椅子全体が少しずつ温まってネコチャンズの絶好の居場所になる。夏は夏で、鉄板のヒンヤリとした冷たさが気持ちよくてネコチャンズの絶え間ない椅子取りバトルが繰り返されているが、冬はお互い身体を寄せ合って体温を共有しておいたほうが良いらしく、気がつくと仲良く抱き合っていたりする。
「あの子達、あなたがいないと2匹とも私にベッタリくっついてなかなか眠れないのよ」
シロはワイフの布団へ潜り込んで、クロは布団の上からワイフの上へ乗ってくるのだそうだ。夏の間は涼しい場所を見つけてそれぞれ好きなところで寝ているのに気温の変化に敏感というか正直というか・・・とにかく、いずれにしてもワイフは彼らのおかげで何かと癒やされているようだ。私が留守にしても全然平気らしい・・・嬉々としてネコチャンズ事情を語るワイフを見ると、ボクはちょっと寂しいな・・・

IMG_0964_20190113205906b04.jpg
IMG_3667.jpg

[edit]

CM: 0
TB: 0

page top

dele 

2019/01/10
Thu. 23:53

このところ、自分でも呆れるほど不摂生をしている。
在家坊主の住職業のだいたい70%くらいを一人でこなしていると、万善寺のような極小規模の山寺業務でもけっこうヤルことがいっぱいあって、年末から年始にかけての集中した時期に鮮度をある程度保ちながら作務や寺務をこなすとなると、かなりの体力と精神力を消耗する。
加齢による体力の減退は、そのまま集中力や持続力の減退に連動する。そういうことを自覚しつつ、一方でヤラないですますわけにいかないから身体をダマシダマシ無理をする。その無理のしわ寄せがアチコチに蓄積されて慢性化する・・・
そういうコトが続いて、今は右の首筋から肩にかけての痛みが激しく、その影響もあってなのだろう指先がシビレて何をするにも感覚が鈍っている。またそれの影響なのか、気づかないままアカギレがヒドくなってしまう。最近は箸を持つにも指先のシビレとアカギレの相乗効果でモノがまともにつかめない。それでも、必要量の業務をこなさなければいけないから、ひと通りの仕事が終わるまでモタモタと且つ延々と効率の悪い時間を消費してしまう。それが悪循環になってきたことが自覚できたので、寺業務を一式まとめて吉田家へ帰った。
ワイフが近くにいてくれると、三度の食事が保証してもらえるだけでずいぶんと助かる。コーヒーやお茶も、「ほしいなぁ〜・・」と思ったらすでにちゃんとポットに用意できている。なにもない時は普通にアタリマエのことで気にしないことでも、こうして日常の家事負担が少しでも軽減できることを身をもって感じると、ワイフの存在の有り難さを痛感する。

今年は寺業務に加えて私の彫刻個展があって、それの中間広報を二個一で絡めることにしたものだから余計にヤルことが増えた。
いろいろと最善の策を考えながらそれぞれの仕事を組み立てていると、どうしても実動ギリギリまでアレコレと考えていることのほうが多くなってしまう。データベースに頼りながら日夜デスクトップと自前のプリンターをフル稼働させて2日目が過ぎた。
郵便局の営業時間ギリギリに発送物を持ち込んで寺務と個展事務を一区切り付けた。
今週中にはすべての発送業務を終わらせて週末には万善寺へ通勤坊主が再開する。保賀のとんど祭りが連休最終日にあるからそれの準備を兼ねた本堂の荘厳復元をする。いまのところ雪の影響が回避できているだけでもかなり気持ちが楽でいられる。

「dele」がHuluへ下りてきていた。放送中はリアルタイムでインターネット配信のテレビを観ていた。久しぶりに1週間が待ち遠しく感じたテレビドラマだった。クドクドとした説明とか、無駄なお笑いとか、そういう軽い要素を極力排除したドラマになっていて、それがよかった。プリンターがセッセと動いている間とか、発送業務の単純作業が連続しているときとかにデスクトップのモニターをテレビに切り替えて、deleを観返しした。
まだワイフと結婚する前、つかこうへい事務所の公演を高田馬場東芸劇場で観ていた。あの長台詞に飛び散るつばと汗にはつかこうへい独特の演劇世界があった。
演劇とは違うけど、deleにつくり手と役者と観客の間に漂う一体感のようなものを久しぶりに感じた気がする。ボク的には#3が良かったな・・・

IMG_3671.jpg

[edit]

CM: 0
TB: 0

page top

三度のメシ 

2019/01/09
Wed. 23:07

「あなた、絶対アル中よ!」
ワイフは、何かと言うとボクにそう言ってくる・・・
「そんな、毎日酒飲むなんておかしいよ!」とか、あげくには「あんた、ヘンよ!」とまで言われる。そんな辛辣でデリカシーのないことを本人はどこまで自覚して発言しているのかわからないが、とにかく、面と向かってそういうコトを言われ続けながら酒を飲んでいるボクとしては、なかなかにやるせないものがある。
確かに、酒とかタバコは中毒性を有するものであるとは思う。ボクとしてはそれを自覚しつつ、ある意味でそれなりの理性のもとに酒を飲んでいるようなところもあるから、「よしヤメよう!」と思えば、何時でもやめられる自信がある。タバコに至っては、ほぼチェーンスモーカーだったボクが、長男の妊娠がわかったことを契機に、誕生のだいたい2ヶ月ほど前からピタリとヤメたという、実績もある。
そもそも、酒を含めた飲食全般は基本的に嗜好性の強いものであるから、好きな奴もいれば嫌いな奴がいて当然だし、美味いと思う人もいれば不味いと思う人もいてアタリマエのことだ。そういう好みの問題を自分の主観的尺度で判断して良し悪しを結論付けられても困ってしまう。まぁ、ワイフの場合は、私の健康を気遣ってそういう厳しい言い回しをしてくれているものだと好意的に解釈しているけど・・

彼女が酒のこととか食べ合わせのこととかあまりしつこくチクチクと云うものだから、こちらも対抗手段として「マッチャンが○○食べちゃダメというから・・」とか「ボクはもう、☓☓食べられないんだもんね〜・・」とか「別に酒飲まなくても全然大丈夫だから・・」とか、ワイフがあれダメこれダメということを、一つ一つ口に出して証明しながら実践することにした。
酒に関しては、麦酒にしても日本酒、焼酎、ウイスキー、ラムにワインなどなど、それなりに各種なんでも別け隔てなくそこにあるものを美味しいと思って飲んでいるが、基本的にアルコールであることに変わりがないから、「飲まない!」という一点をキープすればそれほど気にすること無く普通に簡単に禁酒できる。いっぽう、食べ物の方はなかなか至難の業で結構頭を使うというか・・・「アレはダメでコレは大丈夫で・・・」などと考えながら食べるということがめんどくさくて食欲が減退する。これも一種のダイエット効果と言えなくもないが、「美味しくいただく」という気持ちが失せてしまって、毎日の食事が味気なく感じてしまうようになった。
そういうコトをしばらく続けた後にお正月を迎え、ワイフ手造りのおせちが出て、お供えの鏡餅が仏様の数ほど大量に造られ、それらを消費することの「もったいない義務」で三度のメシに望んでいる今日このごろ・・・あらためて、美味しいご飯がいただけるということがどれだけありがたく幸せなことかということを身をもって実感する。

人間ドックでアレコレの肉体的諸問題を告知され、お正月のお下がりを冷蔵庫から出し入れする毎日が続くという2019年がスタートしている。ささやかな救いといえば「ボクはアル中ではありません!!」ということをワイフが認めてくれたことくらいかな・・
一方、ノッチは想像以上に健康的且つ健全な生活を続けているようで、1週間分の弁当を作り置きし、女子力をレベルアップさせている。さすが料理上手のマッチャンの娘だ。

IMG_0967_20190112120841c80.jpg

[edit]

CM: 0
TB: 0

page top

寂静 

2019/01/08
Tue. 23:31

最近は早起きに慣れてしまった。
ひどい時は、朝の・・というより、深夜の3時過ぎに目が覚めたりする。
昔は、いくら寝ても眠り足らないでいつまでも際限なくメシも食べないでシッコもしないで眠り続けていたこともシバシバあったのに・・・

今朝も、いつもどおり??・・3時過ぎに目覚めてそれから眠れなくなったから、即席のDIYで仕切った壁の向こうの台所へ移動してダイニングテーブルに寺務の仕事を広げた。
そして念のために6時45分でタイマーをセットした。

今から半年ぐらい前のことだっただろうか・・・いつも無口で自分の意志を多く語らないワイフが珍しく強硬に人間ドックの受診を迫ってきた。
改まった人間ドックはもう10年以上遠ざかっているから私の健康を心配してのことなのだが、年金暮らしも本格化して定期的な収入というとソレしか無いまでに精選された現状で私がある日バタリと逝ってしまったら、残された吉田家の維持管理がオオゴトになってしまうというある意味具体的でリアルな現実が彼女の目の前にチラツキ始めたのだろう。
そろそろ、抵抗も無駄だろうと思って「自分でないと出来ないことしかヤラないからね」と念押しをして受診することを承諾した。
2〜3日前からウンコを採取して、前夜は絶食で、人間ドックの決まりごとを遂行しつつ、一方で、1日の時間の消失分をなんとかしなければいけないこともあって、早朝の寺務仕事に至ったという次第。

7時に寺の駐車場へ下りる時は、参道に流れ下った雪解け水がバリバリに凍っていて、何度も滑って転びそうになった。銀くんも全身真っ白に霜をかぶって凍りついていたからしばらく暖気運転をして霜が溶けてから受診の病院へ向けて出発した。
1時間位走って指定時間の30分前に到着したら受付が1番だった。
待時間用に読みかけの文庫本とiPhoneとイヤホンを用意して暇つぶしの準備を整えた。
それから、午前中いっぱい使って通常の患者さんで溢れかえった院内をアチコチ移動しながらすべての検査を終わらせた。
最後に簡単なその日の検査の結果を問診して、急を要する治療の受診予約の手続きをしてすべてが終わったのはお昼を過ぎて1時近かった。
身長がこの10年間で4cm縮んでいた。じゅん君の背が伸びたふうに思っていたのだが自分の背が縮んでいただけのことだった。
胃カメラを飲む前に測った血圧がなかなか下がらなくて待ち時間のほうが長くなった。夜中の3時過ぎから起き出してウロウロした後、絶食で血圧の薬も飲まないで睡眠不足のまま1時間も車を運転したりしているわけだから仕方がない。
「あなた!十二指腸に潰瘍がありますよ!!ほっておいたら腸に穴が空きますよ!」ベテランの胃カメラ技師ドクターがイヤに大きな声で脅してきた。
問診の内科医ドクターは物静かな人だった。「腎機能が低下していて、これは良くないですね」と直ぐに受診予約を入れてくれた。猫の腎臓病は死病につながることが多いようだ。吉田家のクロも若干そのきらいがある。
ボクもそろそろ先がみえてきたなぁ〜・・・

カレンダー校正

[edit]

CM: 0
TB: 0

page top

年賀状に関する一考察 

2019/01/07
Mon. 23:01

吉田家を基地にして万善寺へ出かけることは「通勤坊主である!」と言える。さてその逆で寺から吉田家へ向かうという状態はどう言えば良いのだろう?・・
普通だと「自宅へ帰る」ということなのだろうが、私の場合は万善寺も生家だからそれも自宅であるわけで、ということは「自宅から自宅へ帰る」ことになるわけでもあり・・・などと、どうでもいいわけもわからないことを布団の温もりから抜け出せないままボォ〜〜っと考えていたらワイフから電話がきた。
「昨夜、電話もらってたようで・・・ごめん、もう寝てた。何か用だった?」
用事があるから電話したんだけどネ・・・
「年賀状、急いでたんでしょ?印刷終わったから、そのこと・・・」

副住職が長かった時は、生活の拠点がほぼ100%吉田家にあったから、年賀状も吉田家に届くものをそのままチェックしていればよかった。
住職交代をしてからは寺と吉田家の両方の年賀状が混在するようになってデータベースの管理が急にややこしくなった。それで、毎年のように年末から年始にかけて年賀状の対応をどのようにすれば一番良いのか試行錯誤を繰り返しているが、まだ最善の策が見つかっていない。
個人的には、日頃から普通に親しく付き合っている友人知人とか、毎日仕事で顔を合わせている同僚とか、仕事の付き合いが外せない仕事仲間は、特に改まって年賀状のやりとりをするまでもないことのような気がしている。
日頃不義理をして疎遠になっている親族や、無視の出来ないほど大事な恩人や、気軽に逢うことの難しい遠方の友人知人が年賀状の対象であるくらいでいいような気がしている。
そうはいっても、こればかりはお互いに相手のあることだから、自分の身勝手な都合ばかりを優先するわけにもいかないし、相手に失礼のない気遣いも大事なことだから、それでいつも悶々と悩んでしまう。
この2〜3年の吉田家は前住職夫婦の他界で喪中も絡んだし、周辺の皆様も似たような状況らしく喪中はがきが増えていて、それも含めたデータベースの管理が年々複雑になっている。

万善寺オリジナルカレンダーや手摺り和紙のおふだなどを遠方のお檀家さんへ発送するためのデスクワークをしていたら、ワイフがお昼前に寺へ来て、早速彼女分の年賀状へ新年の挨拶や宛名書きをはじめた。
前住職の頃は、寺用の年賀状には出来るだけ「謹」の字を使うように気をつけていた。
「謹」には「うやまう」とか「かしこまる」とか相手に対して敬意を表する意味が込められているから「新年を飾る文字としては欠かさないほうが良い」と、前住職から聞かされていた。個人的には、かえって堅苦しく余所余所しく思えて、親しみの距離が遠ざかってしまうような印象もあったから、むしろ吉田家の年賀状へは「謹」絡みの文字とか言葉をあまり使用しないようにしていた。
そもそもの年賀状の意味というか意義はよくわからないが、どこかしら郵便局の営業戦略に思えなくもなく・・・まぁ、いろいろありますが新年のお知らせというか挨拶というか・・・ひとまず今週中には一段落するはずです。

2019正月状ますみ (1)

[edit]

CM: 0
TB: 0

page top

通勤坊主2019 

2019/01/06
Sun. 23:14

年賀状のこととか幾つかの書類ごとが吉田家で停滞していて、そろそろワイフの我慢が限界に近づいているようだったので、一度石見銀山へ帰ることにした。

冬至を過ぎてから夜明けが少しずつ早くなっている。
雪の切れた駐車場に停めてあるある銀くんには、霜が張り付いて真っ白になっていた。しばらく暖機運転をして窓ガラスの霜を溶かしてから参道を下った。
さすがに境内は雪に埋もれているが、今年は参道や本堂下の駐車場が普通に使えている。
銀山街道を走りながらちょうど1年前のことを思い出していた。
気温が−5℃くらいまで下がって水道管が凍結したり風呂のカランが破裂したりして対応に苦労した。まだ辛うじて健気に動いていた結界君はお地蔵さんの前で雪に埋まって身動きできないでいた。

今年になってはじめて石見銀山へ帰った。
町並みはまだ寝静まっていて雪の痕跡もない。
吉田家はすでに玄関も雨戸も開いていた。きっと、ワイフが早朝のウォーキングへ出かけているのだろう。
土間からクロの鳴く声が聞こえた。まだ私のことを覚えてくれていたようだ。
留守にしていた間に土間へ積み上げてあった薪が無くなっていた。

1時間ほど吉田家で用事を済ませて寺へ引き返した。
正月は、時々年始のお参りがあるので昼のうちは寺を留守に出来ない。本堂の用事をしたりしながら留守番をするのが住職の仕事にもなるが、人が一人でも居れば、暖房や三度のメシとか無駄に光熱水費を垂れ流ししているようなところもあるから、いっそのこと万善寺も「冬季休業期間を作ってもいいかな?・・」と本気で考え始めているが、私の住職できる間はそうにもなるまい。

本堂の荘厳は10日位までそのままにしておく。お供えの手造り鏡餅はそろそろカビが出る頃なので既成のパック餅に入れ替えた。早速お昼にお下がりをいただくことにする。
庫裏の南側二つの部屋は、大屋根に積もった雪の重みを支えるために冬の間だけ襖で仕切ることにしている。模様替えというほどでもないが、明るい昼のうちに彫刻の場所替えをしたりお供え用のシキビを入れ替えたりした。
年末にバリカンを当てた頭がそろそろ見苦しくなったので、夕方早いうちに風呂へ入った。さっぱりした後の夕食はおせちの残り・・・これもそろそろ飽きてきたが、ワイフの手料理を無駄にできないし、三度の食事でセッセと消費している。

正月の年始行事が過ぎてから、時間だけはたっぷりあるから読み残しや読み返しの本を読んだり見逃した映画やドラマを観たりしようとは思うのだが、目先の用事を片付けていたら気づかない間にツイツイ時が過ぎてまとまった時間が無くなってしまう。それでも、気楽に一人でいられる自由はそれなりに捨てがたいものでもある。気づけば何か一つ事に意識を集中できていたりする。寺の1日がアッという間に過ぎた。

IMG_3663.jpg

[edit]

CM: 0
TB: 0

page top

テーマの本質 

2019/01/05
Sat. 17:49

正月の年始会が終わって、おおよそ後片付けの目処が付いたところでワイフとじゅん君は石見銀山の吉田家へ帰っていった。
今年はじゅん君が参道の道開けをしてくれたおかげで、万善寺の駐車場まで車を上げることが出来てとても助かった。
年始会の余り物やおせちを寺用と吉田家用に小分けしてくれたから、当分の間はそれでオヤジのひとり飯がまかなえる。

まだ、後片付けが終わらないでいる時に石見銀山で親しくしている友人が新年のお寺参りに来てくれた。
大雪でなければだいたい正月三ヶ日のいずれかに万善寺を訪ねてくれる。
たまたままだ改良衣のままだったから、般若心経などのお経で彼の家内安全や商売繁盛の祈念をした。
彼が夫婦で築き上げた今の商売が昨年で30周年を迎えた。
石見銀山の古民家を買い取ってお店に改装した直後に私がその店内外全体を使って個展をさせてもらったことが縁の始まりで、その後家族ぐるみで親しく付き合うようになった。
昨年からの個展は、その店の30周年記念事業の一環にもなっている。

近年は4〜5年を目処に継続している「吉田正純鉄の彫刻展」も今後何回まで続けられるかそろそろ先が見えてきた。
この個展のテーマの本質は30年前から一貫して変えていない。
自分としてはこのテーマの本質をできる限り抽象性の高いところでキープしておくことを心がけている。抽象性の高さレベルがその時時の個展テーマに昇華還元された核になって、それぞれ個展ごとに統一された彫刻の形態に具現化する仕組みを用意している。
自分の思考の根本は、物心ついた頃から普通に形而上の宗教的な概念世界に浮遊しているようなところがあって、造形表現はその一般的に掴みどころのない形而上的思考を形而下の実在世界へ具体的に落とし込むことの手段の一つと考えている。
形而上的抽象性は、幅広く点在する個々の具象を包括してよりシンプルで普遍的な造形へ方向付ける指標として、自分の造形感の重要な要素になっている。
いずれにしてもこういう面倒臭いことは自分だけが気にして思いつめていればいいだけのことで、個展の一つ一つの彫刻はそれなりの関連があって制作して出来上がっているという、まぁ、それだけのことだ。脳みそと身体が動いている限りは、そういうテーマの本質を退化させること無く追求し続けたいと願っているしだいです。

「全然気づかなかったんだけど、ネコチャンズが脱走してたのよ!」
何時もはワイフの方から電話してくることが殆ど無いのに、珍しく向こうから電話がかかってきた。
最初に気づいたのはシロが勝手口の外で鳴いていたからだという。それからクロもいないことに気づいて探したが見つからないまま時が過ぎて心配していたら、しばらく経って裏口の方で中へ入れろと鳴いたそうだ。彼らは2019年早々から初散歩を楽しんだようだ。
ネコチャンズにもあいたいし、一度寺暮らしを切り上げて石見銀山へ帰ろうかなぁ・・・

IMG_6654.jpg

[edit]

CM: 0
TB: 0

page top

偶然の一致 

2019/01/04
Fri. 23:47

三ヶ日も終わって、朝が少しゆっくりになった。
昨日からの晴天で放射冷却が強烈だ。
目は覚めているが寒いから布団にくるまって温々していたい気持ちが勝って、しばらく寝転がったままダラダラと過ごした。

ノッチがおばあちゃんちからの帰りにメガネを買った。
昨年帰国してしばらく「スキルアップ休暇」を決め込んでいたのだが、貯蓄の目減りが気になり始めた頃から本気に就活をはじめて11月から貿易事務の仕事に就いてそろそろ研修期間が過ぎる。先輩社員と同等の業務になると、今までのように定時退社も無くなって残業が増えるということだ。1日の殆どをデスクワークで過ごし「モニターの数字や書類とにらめっこすることになるから」と、ブルーライトカットのレンズに決めたそうだ。
キーポンは小さい頃から視力が弱くてメガネが手放せない。
学生で保育士の勉強を始めると、実践の現場でメガネは何かと不具合があることがわかってコンタクトレンズにした。それでも1日中そればかりだと疲れるし、自宅で過ごすときや職場以外ではメガネでいることもあるからと、今のメガネを買った。
お父さんのボクは、もともと遠視が強かった上に30代の頃から乱視が入りはじめ、疲れ目がひどくなった。それでも我慢して数年は乗り切っていたのだが、そのうち近くを見るための筋肉収縮が劣化して老眼が入ってデスクワークの事務や寺の寺務に影響が出るようになったからメガネ購入を決めた。それから寝る時以外は四六時中メガネの暮らしになって今に至っている。
1年ほど前、春の彫刻を造って完成したものを移動している時に、ちょっとした不注意で彫刻を引っ掛けてレンズへ傷を付けてしまった。運悪く、目の焦点が一番良く合うところにひっかき傷が着いたものだから、日常の暮らしには支障がないものの、本を読んだり字を書いたりする時になるとその傷が目に入って邪魔でしょうがない。我慢も限界になっていつものメガネ屋へ駆け込んだら「レンズ変えるしか無いですね」と気の毒そうに言われた。レンズ交換と新品メガネの購入がほぼ同じような金額で2000円と変わらないことがわかったので何時も使いと仕事使いと使い分けることにして夏の暑い時期に新調した。
いまのところメガネがいらないのはなっちゃんだけだが、「ワタシ、目が悪くなるほど目を使っていないから・・」と本人はそう言っている。それでも外国ドラマが大好きで暇な時には延々と見漁っているようだし、そのうち彼女もメガネが必要になるだろう。

メガネは3人それぞれ違う理由で違う店で買ったのに、気が合うというか顔形が似ているというか、偶然にもボストンタイプの似たようなデザインに揃った。
なっちゃん曰く「あのデザイン、今流行りみたいだから・・うちの会社でも何人か似たようなメガネかけてるよ」・・・だそうだ。
だいたい車にしても家電や家具にしても社会に氾濫する工業デザインというものは製造者主導で決まることがほとんどだから、今のボストンタイプもそういう流行に乗ったのかも知れない。それでも結局最後の決定判断は機能性が大事であって、それとデザインがキチンとシンクロすればそれがその人にとっての逸品となり得るはずだ。
今のメガネも今の視力が変わらないうちは大事に使い続けていこうと思っている。

IMG_0962 (1)

[edit]

CM: 0
TB: 0

page top

それぞれの正月 

2019/01/03
Thu. 23:14

正月3日は元日から続く年始の朝課法要最終になる。
この三ヶ日はだいたい1時間半から2時間をかけて本堂から庫裏の各所に安座される仏様方を巡って国家平安とか家内安全などの祈念をする。
先代住職は、まだ元気に身体が動く間、僧堂の修行時代から引き継いだ朝課システムを頑なに守り続けていたから、弟子の私もそれに習って鐘つきなど導師さまの侍者をしていたが、住職交代から後は少しずつ自分のペースに切り替えて今に至っている。
3日めの朝は、ワイフたちも石見銀山へ帰ってオヤジの一人暮らしが戻ったから、少しゆっくりと法要の準備をしたので、朝課が全て終わって大衣を脱いだ頃にはすっかり冬の夜が明けていた。

万善寺では昔から3日が保賀の集落の年始回りに決まっていた。
少年時代は住職のお供をして年始に歩き、やがて一人で年始回りをするようになり、結婚してからはワイフと回り、子供が出来て少し大きくなった頃からは子供たちと一緒に回り、その子供たちも自分の意志が固まり始めると長男から順番に一人ずつ減って、今はまた昔のように一人で集落をグルリと一周している。
最近は正月2日の年始参りされなかったお檀家さんへも早いうちに年始の品を持って回ることにしている。今年は青空の見えるうららかな日和になったので、保賀地内を回る流れで飯南高原をグルリと一廻りしておこうと決めた。
お昼前に寺を出発すれば、だいたい3時間ほどで終わるだろうと予定を立てて準備していたら電話が鳴った。
家族がいて賑やかだった頃は正月早々から長電話をしていたこともあったが、オヤジの一人暮らしが普通になった今では正月に電話が鳴ることも無くなって静かなものだ。
新年早々の電話はあまり良いことでないかも知れないとドキドキしながら出てみると、お檀家さんから1月に祥月命日のご先祖様にお経を読んでもらいたいと法事の依頼だった。仕事始めが普通に諸官庁へ準ずるようになって、いつまでも正月気分でノンビリとしていられなくなった昨今、そのお檀家さんもお休みをとれるのは今しかないし、ちょうど雪も降らなくて良い天気だし「万善寺さんのご都合が許されるようでしたらと急に思いつきまして・・簡単なことで構いませんから今日お経を読んでいただくと助かるんですが・・・」
自分の都合ばかりで申し訳無さそうな口ぶりだったので「ちょうど年始回りをするので、そのついでで良ければ・・・」ということになって、急きょ正月3日の法事が決まった。

急なことで塔婆も用意できないままの略式法事になったが、それでも喜んでもらえて帰りにはおせち料理のおすそ分けも頂いた。ワイフ手造りおせちとあわせて、たまの吟醸酒一杯で豪華な夕食になって、ひと心地してからSNSをチェックしたら、3姉妹が東京のおばあちゃん家へ集合してくれていて、久しぶりに孫たちに囲まれて嬉しそうだった。いつもは一人暮らしのおばあちゃん手造りのおせち料理はビックリするほど大量で豪華だ。たぶん、それぞれの孫たちへ少しずつ持ち帰らせるための気遣いもあるのだろう。
寺の正月は一般在家の団らんとは縁遠いところで過ぎていくが、一般社会でも正月営業で働く人々も限りない。
平成元号最後の万善寺の正月三ヶ日は珍しいほど穏やかに過ぎた。

IMG_0957.jpg
IMG_0958.jpg

[edit]

CM: 0
TB: 0

page top

万善寺年始会今昔 

2019/01/02
Wed. 23:02

正月2日は原則として年始会が恒例になっている。
私が物心ついた時にはすでにそういう決まりができていて、当時は新年の祝賀祈念法要とその後てづくりおせちの精進料理や初餅のお雑煮や黄粉餅に日本酒の熱燗で日が暮れるまでエンドレスに酒宴が開催されていた。
近所からまかないでお願いした奥様方が5〜6人集まって、それぞれが自分の役割を分担して手際よく年始会を切り盛りしてもらっていた。
酒宴が盛り上がると流行歌がアチコチから出はじめたり、早々と何時もは家族が居間で使っている掘り炬燵へ移動して囲碁が始まったりした。
年始参りの檀信徒の皆さんの大半は、公共交通機関の路線バスの時刻に合わせて日が暮れる前に帰られる。今のように自家用車の持ち合わせなど稀なことで、せいぜい50ccのバイクくらいしかなかったから、雪の正月の寺参りはバスか徒歩だった。
お檀家さんで遠いところは一里以上もさきから徒歩で万善寺を目指す方もいて、年始参りも1日仕事になる。そこまでしてお寺参りされるくらいだから信心の強さも並ではなくて、正月早々年始会が2次会に突入する頃には、お参りの旦那衆総出で並んだ配膳机が片付けられ、取り払われていたふすまや障子が建て付けられ、いつもの掘り炬燵に復元されて、それから炬燵ごとのグループが出来て寺の運営で議論が始まるなどして賑やかなものだった。

高度経済成長とともに家族の離散が本格的になって、市街地で暮らす親族の帰省ラッシュが普通になって、それぞれのお檀家さんでは年始参りの信心より、久しぶりに揃う家族と過ごす正月が当たり前のことになった。
万善寺も、息子の私は30歳直前まで日頃は東京で暮らしていたから乗車率200%ほどの新幹線自由席や在来線を使って延々と10時間ほどかけて帰省することが当たり前だった。
その頃の万善寺は、年始参りもすでに激減していて、まかないでお願いしていた近所の奥様方も高齢を言い訳に一人ずつリタイヤされ、それに変わるように新婚間もないワイフが年末のうちから年始会の仕込みなどで都合よく内室のおかみさんを手伝わされるようになった。
私の方は、すでに少年時代から毎年繰り返される年末年始の決まりごととして粛々と受け止めていたからそれほど大きな感情の起伏も無かったが、在家から嫁いだワイフの方はある日突然に寺のまかないが回ってきて想定外の苦労を背負うことになった。それでも幸いに、お手伝いさんの数人はまだ引退前だったから、そういうご婦人方の他愛無い井戸端会議に救われて内室からのダイレクト司令を避けることが出来た。おかげさまでそれで嫁姑の直接対決を避けられたし、辛うじてギリギリ平常心でいられることが出来た。

私もワイフも彫刻家でもあるわけで、制作中はどちらかといえば自分の仕事をマイペースに進めることが多いから、万善寺のことも内室のおかみさんが他界してからは正月行事がずいぶんやりやすくなって楽になった。何事も、まずは誰かを当てにするところからスタートすると、かえってそのための事前事後の手間が負担になって気疲れする。はじめから他人を当てにしないでいたほうが気楽でいられて都合が良い。
今年の年始会は天気も落ち着いて、お参りも例年と変わりなく静かに始まって終わった。

IMG_3656.jpg

[edit]

CM: 0
TB: 0

page top

元日の朝 

2019/01/01
Tue. 23:40

正月元日の朝は井戸水をお湯にするところからはじまる。

午前0時を過ぎて、ワイフとじゅん君が除夜の鐘をつき終わるまでに新しい蝋燭へ火をつけ、線香をつけ、須弥壇の御本尊様をはじめ万善寺じゅうの諸仏へお供えする。それから井戸水を沸かして同じように本堂から庫裏の各所へお供えする。
万善寺の元日は先代住職の頃からだいたい同じことが繰り返されてきた。

同宗の近隣寺院がどのようなお正月をされるかわからないが、私は子供の頃から師匠である先代住職の司令を受けて眠い目をこすりながらそれらの決まりごとを繰り返していた。
師弟関係というものは、そういう日々の繰り返しが基本になるのだろう。
まずは、いつも同じことを同じように遺漏なく繰り返すことが出来るようになるということが大事なことだと、先代住職がほぼ寝たきりになってから気がついた。
だから、守破離の「守」の重要さが自覚できたのはつい最近のこと。
何をするにも前後後先の順序がとにかく曖昧でコトが先に進まない。物心ついた頃から自分の坊主人生のほとんどで毎年同じことを繰り返し続けていたはずなのに、すべて自分の責任で取り仕切ろうとすると、何もかもが中途半端に曖昧でとたんに自信が失せる。
師弟関係であっても私の場合はその前に親子関係でもあったから、どこかしら父親への反抗心もあって、完全に公私が混同されたままの師弟関係になってしまっていた。謙虚な気持ちでモノを教わるという自覚が足りない・・というより「ほとんど皆無に近かったのだ!」と今更ながら気づいた。
先代住職は人生の殆ど半分は病気と付き合いながら生きてきて、それでも90歳近くまで長生きできていたわけだから、私がその気になって師匠の所作へ寄り添っていれば今の不安はずいぶん軽減できていたはずだが、とにかくなにごとも時すでに遅し!・・・

「坊主の弟子は持たない」と、心に決めている。だから、万善寺の次代には住職の姓が変わるはずだ。それでいいと思うし、自分の宿命を思うとむしろ「その方が良い!」と思う。ずいぶん身勝手なことだが、今の周辺環境や社会事情の客観性に即して自分の立ち位置をみればそれが最善の選択肢だと思う。
実にモタモタしつつ、それでもそれなりに自分の身辺整理を心がけている。
特に、長男であり一般常識的師弟関係の対象として一番身近な存在であるじゅん君には対応が難しい。
年末からワイフと一緒に万善寺で親子三人の暮らしを続けているが、彼の信仰心を直ぐ側で見ていると、仏教の根本からは程遠いところにあると気付く。それはそれで、彼の気持ちが収まることであればそれで良い。彼ももう30歳を過ぎるし、すでに立派な彼なりの人格が形成されているわけだ。

初釜の湯をお供えして、元日の法要をはじめて、ひと通り各所の仏様を一巡して、すべての次第が終了したのはそれから2時間ほどあと。そのまま徹夜で正月2日の年始会準備に入った。すべて自分一人で取り仕切らなければいけないことなのだが、朝になって元日の朝食が終わってしばらくして、ワイフが見るに見かねて遅れた準備を手伝ってくれた。

IMG_8773 (1)

[edit]

CM: 0
TB: 0

page top

2019-06