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工房むうあと鉄の手仕事

鉄の彫刻家、吉田正純の手仕事、彫刻や展覧会の紹介、万善寺住職活動など、さまざまな日常を公開します。

三界萬霊 

2019/01/14
Mon. 23:57

たぶん、万善寺の現住職(ボクのことです!)が保賀のとんど祭でお経を読むようになってからはじめてのことだろう・・・こんな良い天気!
お正月の月半ば頃は、だいたい周囲全体雪景色で、暴風雪が続いていたりするのに、今年は高層の筋雲がひと刷毛浮かんでいるくらい。
風が少々強くて大般若経の経典をめくることが出来なかったくらいどぉ〜ってこと無い。
とんどのお焚き上げも一瞬で煙に変わって、天にたち昇っていきました。

お昼からは保賀の新年会がはじまるので、万善寺住職は急いで寺へ帰って大衣をたたんで自由服に着替えていると、すでにみんな集まって準備万端「方丈さんを待っとりますけぇ〜ねぇ〜」早く来い!と電話が入った。
一升瓶を1本とお供えしてあった羊羹の箱を抱えて集会場へ行ってみると、一番上座が空けてあって「方丈さん、はよう座って、はようはよう!」と急かされた。
たいして偉くもなんともないナンチャッテ坊主ごときが一番上座へ座らされるのもどうかと思うが、先代からの慣わしもあるので気にしないことにした。

「墓地の端っこに石塔がありますがぁ〜?うちの宗派じゃぁ見かけんですが、禅宗さんのお墓にゃぁ〜だいたいありますがぁ〜?ありゃぁ〜、なんちゅうて書いてありましたかいねぇ〜、サンやらマンやら字があったような??・・・」
この2〜3年のうちに相次いで町内の長老クラスが他界され、一気に長老格へ駆け上った感のある中組のおじいさんが、私の目の前で一杯やりながらしきりに質問される。どうも内容がよく飲み込めないでいろいろと苦労しながら話の糸を繋いで、やっと「三界萬霊」にいきついた。絶対!というわけでもないが、確かに浄土真宗さんの多い飯南高原では、墓地に三界萬霊塔が建立されることが少ない気もする。
「あぁ〜〜、それ、サンガイバンレイね!・・ハイハイ・・あの石塔は信心供養の気持ちの現われですから、あまり宗派は関係ないと思いますけどねぇ〜」と、だいたいの意味をおじいさんがわかりやすいように解説することになった。近所で暮らしていても、こうして面と向かって会話することなどめったに無い事だ。なにか新年会で昼間から気楽に飲み食いして、寺へ帰ってバタンキューを決め込んでいたのに、それどころではなくなった。

「三界萬霊」の発想そのものは、宗教的形而上において抽象性レベルの高いところで定義づけされていると思う。それをどうやってわかりやすく形而下の具体的要素に置き換えて解説するかとなると、ナンチャッテ坊主は役不足だ。とにかく、大汗かきながらアレコレ手を変え品を変え話してみたが、おじいさんが納得できたかどうかはわからない。
坊主的解釈でいうと、色界、無色界、欲界の三世界を意味付けることが多いと思うが、この解説がなかなか至難の業でボクには無理・・なので、おじいさんにはわかりやすく過去現在未来の三世界のことを云うのだと話しておいた。
今の自分のこともよくわからんのに、前世がどうとか来世がどうとか考え始めたら夜も眠れなくなる。まずは三界萬霊塔を建立して「三世界全部ひっくるめて供養信心しておけば間違いはないのだ!」というわけ!・・ずいぶん乱暴なことだが、そもそも抽象表現の根本は「如何にして単純化を追求するか!」ということではないかとボクは思っている。

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鏡餅のいき場所 

2019/01/13
Sun. 23:42

お供えの鏡餅を下げると30個近く集まるので冷凍庫を整理した。
底の方にはちょうど1年前に同じようなことをして保存しておいた去年の鏡餅がまだ残っていた。とにかく、そういう古いものからなんとかして消費しないとスペースの確保が難しいから、一度中の物を全部取り出してみた。
いらないものがあるだろうと思っていたらそうでもなくて、みなそれなりに捨てるにはもったいないものばかりだったから、オヤジの一人暮らしで使い切ることを目標に、アレコレ見繕って冷蔵庫の方へ移し替えた。

今日も朝から良い天気で、本堂の荘厳を片付ける間ストーブがなくても全然寒くなかった。
お供えのお下がりを何往復もして台所まで運んでから、しめ縄とか松竹梅を撤収してとんど祭でお焚き上げできるように一つに集めた。最後に荘厳を取り払っていつもの須弥壇に戻ったのはお昼を少し過ぎた頃だった。
人の好みとか趣味にもよるだろうが、私はとにかく何事もシンプルで質素な方が好きだ。基本的な荘厳の決まり事は宗派の常識として周知されているから、だいたいそれをお手本にして坊主個人の好みは二の次であることが大事ではある。住職は宗派の常識を元に荘厳を整えることが当然の義務であることもよくわかってはいる。それでも、やはりボクなりの美意識のようなものもあって、どうもそういう画一的な様式美を素直に飲み込むことが出来ない。前住職が健在だった頃は師匠の言付けを粛々と守って言われたようにコトを進めていたが、今は後にも先にも荘厳作務一式全て現住職である私の一存で仕切っているから、建前はソレとしてひとまず置いておいて、自分の本音を優先することに気持ちを切り替えた。常日頃は近所から信心のお参りがあるわけでもないから、自分が一人で一切合切責任を持って心得ておけばソレでいいと云うことにしてある。

本堂での作務を終わらせてから昼食の支度に取り掛かった。
つい先日まで三度の食事をワイフが用意してくれていたから、今もそのくせが抜けきれなくてなかなか食事の1品を作る気になれない。
冷蔵庫を開けたら、冷凍庫から移動しておいた幾つかの食材が解凍されていた。
好きでよく買う砂肝も良い感じで解凍されていたから、お昼はそれをメインになにか作ることにした・・・と、そこまでは決めたのだが、さて何にしようかなかなか決まらないまま、とにかく、まずは砂肝に包丁を入れることにした。気持ちが乗れば「絶対塩焼きだな!」と、一瞬閃いたが、塩焼きだとやっぱり串に挿して「炭焼だよね!」と気持ちが次に飛んで、そういえばワイフが竹串を何処かに仕舞っていたはずだ・・と思い出して、台所のそれらしき場所をアチコチ探したが結局見つけ出すことが出来なかった。まな板の上で二つに切り分けられた砂肝を眺めてしばし迷ったが、そのうち塩焼きのために炭を火起こしするのがだんだんと面倒臭くなってきた。それで、結局いつもの手っ取り早いアヒージョに落ち着いた。ワイフが差し入れしてくれた手作りパンもまだ残っているし、そのパンに砂肝エキスの滲み出たオリーブオイルを付けて食べたら美味そうだし、簡単だから「そうしよう!」と決めた。「コレにワインでもあると最高だなぁ〜」と一瞬そう思ったが、さすがに昼間から一杯やるのは気が引けて、それは断念した。

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セロテープと障子糊 

2019/01/12
Sat. 23:56

2日半の徹夜分を取り戻すようにひたすら眠り続けた。
早朝の保賀の谷は、雲はあるが山陰の冬としては良い天気といえるだろう。

寺の正月の習慣を続けていたら、最近は毎日朝食をとるようになった。もうずいぶん長い間朝食抜きの暮らしが続いていたのに、どういうわけか今度の正月以来オヤジの一人暮らしになってから後も、なにかしら朝ごはんになるような一品を作っていたりする。まぁ、普通に三度のメシを食べるということは一般的に悪いことでもないだろうから、あまりストレスにならない程度に続けてもいいかなという気もしている。

11日も過ぎたし、本格的に正月のお供え物や正月飾りを下げたりしなければいけないと思いつつ、それでも身体がなんとなく重たいものだから読みかけの文庫本を開いたりしてグダグダしていたらお昼近くになってしまった。
「コレはマズイ!」と気を取り直して、まずは身の回りの家事から片付けることにした。
台所で使いまわしている布巾代わりのタオルなど洗濯物が少し溜まっていたので洗濯機を回した。それから、灯油ストーブのタンクへ灯油を補充したりゴミの仕分けをしたりした。
重たい身体を騙しながらモタモタとそういうコトをしていたら何かの拍子に小指の爪をどこかで引っ掛けたようで爪が3分の1ほど剥がれた。血がにじんできたので絆創膏を探したが思いついた場所に見当たらない。もう1年以上も前に一箱開けてそれが使い切らないまま残っているということは間違いなく覚えているのだが、それを何処へ仕舞ったのかそのコトを覚えていない。仕方がないから、セロテープで応急処置をして近所のホームセンターへ走った。

絆創膏を探している時に障子糊を見つけた。
前々からお経本の折れ目が破れてバラバラになりそうだったのをダマシダマシ使っていたのを思い出して、この際一気に「お経本の修繕をしよう!」と決めた。
前住職はセロテープで簡易的に補修をしていたものだから、使いにくくてしょうがなかったことを思い出した。やはり折れ目の補修は和紙でないとダメだ。
特に何に使うかと決めたわけでもなく、御札製作でサイズからはみ出した余分を捨てないで仕舞っておいたのを取り出してダイニングテーブルを作業台にした。
空の雲が少しずつ切れて、台所へ西日が差し込んでくる。
時折、寒雀の集団が古古米を食べにやってくる。
作業のバックミュージックには、YouTubeからエンドレス配信の音楽を選んでおいた。

正月の荘厳を復元しょうと思っていたのに、お経本の修繕が思った以上に長引いてしまったので、そちらの方は1日ずらすことに決めた。14日は保賀のとんど祭があるから、前日に寺のコトを終わらせておけばまだ間に合う。
夕食用にテーブルを片付けて台所仕事をしていたら、小指の絆創膏がポロリと落ちた。やはり、安い絆創膏はダメだ。血の方はとっくに止まっていたが、爪の剥がれたところがヒリヒリと痛い。「夕食何にしようかなぁ〜・・」小指をしゃぶりながらしばし悩んだ。

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冬のネコチャンズ 

2019/01/11
Fri. 23:58

不摂生の徹夜をしたおかげでお昼すぎには郵便局へ行くことが出来た。
週末ギリギリの滑り込みセーフになった。
ワイフが三度の食事を世話してくれなかったら、週末の発送が間に合わなかっただろう。
そのワイフは、昼食を食べたら直ぐに仕事へ出かけた。
彼女はフリースクールの非常勤もしていて、なかなか学校へ行けない子供たちの話し相手になっている。
自分では「特にこれといって何するわけでもないけどね」といっているが、それなりに気疲れもあるだろうし、普通に簡単に引き受けられる仕事でもない気がする。

郵便局から直接万善寺へ向かって、まだ日のあるうちに寺へ着いた。
昨年の強烈寒波が嘘のように穏やかな毎日が続いている。それでも日本海側の気候だから曇りがちではある。その雲の御蔭で気温がそれほど下がらないから都合がいい。
寒雀の群れが庫裏の西側へ集まって賑やかに鳴き騒いでいる。
吉田家のデスクワークでしばらく寺を留守にしていたから、古古米を食べ尽くしてしまったのだろう。
とにかく、不摂生でかなり体力が消耗した。雀に古古米を補充して、それから風呂へお湯を入れた。湯船に浸かると一気に睡魔が襲ってきて、ウトウト寝てしまった。
ゆっくりと時間をかけて温まったので、少し身体が楽になった。
ワイフが仕事で出かける前に夕ご飯用のおかずなどを用意してくれたので、それをレンジでチンしたりお湯を沸かしてインスタントのスープをつくったりして早めの夕食にした。
台所を即席の壁で半分に仕切った寝室へ移動してベッドへ横になって、すぐ隣のテーブルに置いてある寺の寺務用デスクトップを起動した。
連休の最終日に保賀のとんど祭りがあるから、その準備に過去データを探し始めたところまでは思えているが、その途中でいつの間にか寝てしまったらしい。
気がつくと4時間位寝てしまっていて、その間に珍しくワイフから幾つか電話が入っていた。もう夜が遅いし、朝になってから返信の電話をすることにした。

今頃、ネコチャンズはどうしているだろう?
こんどのことで吉田家へ帰った時は、何年か前に鉄板の廃材で造ったネコチャンズチェアーで仲良くくつろいでいた。冬の間はストーブの近くへ移動しておく鉄板製のネコチャンズチェアーは、ストーブの放熱で椅子全体が少しずつ温まってネコチャンズの絶好の居場所になる。夏は夏で、鉄板のヒンヤリとした冷たさが気持ちよくてネコチャンズの絶え間ない椅子取りバトルが繰り返されているが、冬はお互い身体を寄せ合って体温を共有しておいたほうが良いらしく、気がつくと仲良く抱き合っていたりする。
「あの子達、あなたがいないと2匹とも私にベッタリくっついてなかなか眠れないのよ」
シロはワイフの布団へ潜り込んで、クロは布団の上からワイフの上へ乗ってくるのだそうだ。夏の間は涼しい場所を見つけてそれぞれ好きなところで寝ているのに気温の変化に敏感というか正直というか・・・とにかく、いずれにしてもワイフは彼らのおかげで何かと癒やされているようだ。私が留守にしても全然平気らしい・・・嬉々としてネコチャンズ事情を語るワイフを見ると、ボクはちょっと寂しいな・・・

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dele 

2019/01/10
Thu. 23:53

このところ、自分でも呆れるほど不摂生をしている。
在家坊主の住職業のだいたい70%くらいを一人でこなしていると、万善寺のような極小規模の山寺業務でもけっこうヤルことがいっぱいあって、年末から年始にかけての集中した時期に鮮度をある程度保ちながら作務や寺務をこなすとなると、かなりの体力と精神力を消耗する。
加齢による体力の減退は、そのまま集中力や持続力の減退に連動する。そういうことを自覚しつつ、一方でヤラないですますわけにいかないから身体をダマシダマシ無理をする。その無理のしわ寄せがアチコチに蓄積されて慢性化する・・・
そういうコトが続いて、今は右の首筋から肩にかけての痛みが激しく、その影響もあってなのだろう指先がシビレて何をするにも感覚が鈍っている。またそれの影響なのか、気づかないままアカギレがヒドくなってしまう。最近は箸を持つにも指先のシビレとアカギレの相乗効果でモノがまともにつかめない。それでも、必要量の業務をこなさなければいけないから、ひと通りの仕事が終わるまでモタモタと且つ延々と効率の悪い時間を消費してしまう。それが悪循環になってきたことが自覚できたので、寺業務を一式まとめて吉田家へ帰った。
ワイフが近くにいてくれると、三度の食事が保証してもらえるだけでずいぶんと助かる。コーヒーやお茶も、「ほしいなぁ〜・・」と思ったらすでにちゃんとポットに用意できている。なにもない時は普通にアタリマエのことで気にしないことでも、こうして日常の家事負担が少しでも軽減できることを身をもって感じると、ワイフの存在の有り難さを痛感する。

今年は寺業務に加えて私の彫刻個展があって、それの中間広報を二個一で絡めることにしたものだから余計にヤルことが増えた。
いろいろと最善の策を考えながらそれぞれの仕事を組み立てていると、どうしても実動ギリギリまでアレコレと考えていることのほうが多くなってしまう。データベースに頼りながら日夜デスクトップと自前のプリンターをフル稼働させて2日目が過ぎた。
郵便局の営業時間ギリギリに発送物を持ち込んで寺務と個展事務を一区切り付けた。
今週中にはすべての発送業務を終わらせて週末には万善寺へ通勤坊主が再開する。保賀のとんど祭りが連休最終日にあるからそれの準備を兼ねた本堂の荘厳復元をする。いまのところ雪の影響が回避できているだけでもかなり気持ちが楽でいられる。

「dele」がHuluへ下りてきていた。放送中はリアルタイムでインターネット配信のテレビを観ていた。久しぶりに1週間が待ち遠しく感じたテレビドラマだった。クドクドとした説明とか、無駄なお笑いとか、そういう軽い要素を極力排除したドラマになっていて、それがよかった。プリンターがセッセと動いている間とか、発送業務の単純作業が連続しているときとかにデスクトップのモニターをテレビに切り替えて、deleを観返しした。
まだワイフと結婚する前、つかこうへい事務所の公演を高田馬場東芸劇場で観ていた。あの長台詞に飛び散るつばと汗にはつかこうへい独特の演劇世界があった。
演劇とは違うけど、deleにつくり手と役者と観客の間に漂う一体感のようなものを久しぶりに感じた気がする。ボク的には#3が良かったな・・・

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三度のメシ 

2019/01/09
Wed. 23:07

「あなた、絶対アル中よ!」
ワイフは、何かと言うとボクにそう言ってくる・・・
「そんな、毎日酒飲むなんておかしいよ!」とか、あげくには「あんた、ヘンよ!」とまで言われる。そんな辛辣でデリカシーのないことを本人はどこまで自覚して発言しているのかわからないが、とにかく、面と向かってそういうコトを言われ続けながら酒を飲んでいるボクとしては、なかなかにやるせないものがある。
確かに、酒とかタバコは中毒性を有するものであるとは思う。ボクとしてはそれを自覚しつつ、ある意味でそれなりの理性のもとに酒を飲んでいるようなところもあるから、「よしヤメよう!」と思えば、何時でもやめられる自信がある。タバコに至っては、ほぼチェーンスモーカーだったボクが、長男の妊娠がわかったことを契機に、誕生のだいたい2ヶ月ほど前からピタリとヤメたという、実績もある。
そもそも、酒を含めた飲食全般は基本的に嗜好性の強いものであるから、好きな奴もいれば嫌いな奴がいて当然だし、美味いと思う人もいれば不味いと思う人もいてアタリマエのことだ。そういう好みの問題を自分の主観的尺度で判断して良し悪しを結論付けられても困ってしまう。まぁ、ワイフの場合は、私の健康を気遣ってそういう厳しい言い回しをしてくれているものだと好意的に解釈しているけど・・

彼女が酒のこととか食べ合わせのこととかあまりしつこくチクチクと云うものだから、こちらも対抗手段として「マッチャンが○○食べちゃダメというから・・」とか「ボクはもう、☓☓食べられないんだもんね〜・・」とか「別に酒飲まなくても全然大丈夫だから・・」とか、ワイフがあれダメこれダメということを、一つ一つ口に出して証明しながら実践することにした。
酒に関しては、麦酒にしても日本酒、焼酎、ウイスキー、ラムにワインなどなど、それなりに各種なんでも別け隔てなくそこにあるものを美味しいと思って飲んでいるが、基本的にアルコールであることに変わりがないから、「飲まない!」という一点をキープすればそれほど気にすること無く普通に簡単に禁酒できる。いっぽう、食べ物の方はなかなか至難の業で結構頭を使うというか・・・「アレはダメでコレは大丈夫で・・・」などと考えながら食べるということがめんどくさくて食欲が減退する。これも一種のダイエット効果と言えなくもないが、「美味しくいただく」という気持ちが失せてしまって、毎日の食事が味気なく感じてしまうようになった。
そういうコトをしばらく続けた後にお正月を迎え、ワイフ手造りのおせちが出て、お供えの鏡餅が仏様の数ほど大量に造られ、それらを消費することの「もったいない義務」で三度のメシに望んでいる今日このごろ・・・あらためて、美味しいご飯がいただけるということがどれだけありがたく幸せなことかということを身をもって実感する。

人間ドックでアレコレの肉体的諸問題を告知され、お正月のお下がりを冷蔵庫から出し入れする毎日が続くという2019年がスタートしている。ささやかな救いといえば「ボクはアル中ではありません!!」ということをワイフが認めてくれたことくらいかな・・
一方、ノッチは想像以上に健康的且つ健全な生活を続けているようで、1週間分の弁当を作り置きし、女子力をレベルアップさせている。さすが料理上手のマッチャンの娘だ。

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寂静 

2019/01/08
Tue. 23:31

最近は早起きに慣れてしまった。
ひどい時は、朝の・・というより、深夜の3時過ぎに目が覚めたりする。
昔は、いくら寝ても眠り足らないでいつまでも際限なくメシも食べないでシッコもしないで眠り続けていたこともシバシバあったのに・・・

今朝も、いつもどおり??・・3時過ぎに目覚めてそれから眠れなくなったから、即席のDIYで仕切った壁の向こうの台所へ移動してダイニングテーブルに寺務の仕事を広げた。
そして念のために6時45分でタイマーをセットした。

今から半年ぐらい前のことだっただろうか・・・いつも無口で自分の意志を多く語らないワイフが珍しく強硬に人間ドックの受診を迫ってきた。
改まった人間ドックはもう10年以上遠ざかっているから私の健康を心配してのことなのだが、年金暮らしも本格化して定期的な収入というとソレしか無いまでに精選された現状で私がある日バタリと逝ってしまったら、残された吉田家の維持管理がオオゴトになってしまうというある意味具体的でリアルな現実が彼女の目の前にチラツキ始めたのだろう。
そろそろ、抵抗も無駄だろうと思って「自分でないと出来ないことしかヤラないからね」と念押しをして受診することを承諾した。
2〜3日前からウンコを採取して、前夜は絶食で、人間ドックの決まりごとを遂行しつつ、一方で、1日の時間の消失分をなんとかしなければいけないこともあって、早朝の寺務仕事に至ったという次第。

7時に寺の駐車場へ下りる時は、参道に流れ下った雪解け水がバリバリに凍っていて、何度も滑って転びそうになった。銀くんも全身真っ白に霜をかぶって凍りついていたからしばらく暖気運転をして霜が溶けてから受診の病院へ向けて出発した。
1時間位走って指定時間の30分前に到着したら受付が1番だった。
待時間用に読みかけの文庫本とiPhoneとイヤホンを用意して暇つぶしの準備を整えた。
それから、午前中いっぱい使って通常の患者さんで溢れかえった院内をアチコチ移動しながらすべての検査を終わらせた。
最後に簡単なその日の検査の結果を問診して、急を要する治療の受診予約の手続きをしてすべてが終わったのはお昼を過ぎて1時近かった。
身長がこの10年間で4cm縮んでいた。じゅん君の背が伸びたふうに思っていたのだが自分の背が縮んでいただけのことだった。
胃カメラを飲む前に測った血圧がなかなか下がらなくて待ち時間のほうが長くなった。夜中の3時過ぎから起き出してウロウロした後、絶食で血圧の薬も飲まないで睡眠不足のまま1時間も車を運転したりしているわけだから仕方がない。
「あなた!十二指腸に潰瘍がありますよ!!ほっておいたら腸に穴が空きますよ!」ベテランの胃カメラ技師ドクターがイヤに大きな声で脅してきた。
問診の内科医ドクターは物静かな人だった。「腎機能が低下していて、これは良くないですね」と直ぐに受診予約を入れてくれた。猫の腎臓病は死病につながることが多いようだ。吉田家のクロも若干そのきらいがある。
ボクもそろそろ先がみえてきたなぁ〜・・・

カレンダー校正

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年賀状に関する一考察 

2019/01/07
Mon. 23:01

吉田家を基地にして万善寺へ出かけることは「通勤坊主である!」と言える。さてその逆で寺から吉田家へ向かうという状態はどう言えば良いのだろう?・・
普通だと「自宅へ帰る」ということなのだろうが、私の場合は万善寺も生家だからそれも自宅であるわけで、ということは「自宅から自宅へ帰る」ことになるわけでもあり・・・などと、どうでもいいわけもわからないことを布団の温もりから抜け出せないままボォ〜〜っと考えていたらワイフから電話がきた。
「昨夜、電話もらってたようで・・・ごめん、もう寝てた。何か用だった?」
用事があるから電話したんだけどネ・・・
「年賀状、急いでたんでしょ?印刷終わったから、そのこと・・・」

副住職が長かった時は、生活の拠点がほぼ100%吉田家にあったから、年賀状も吉田家に届くものをそのままチェックしていればよかった。
住職交代をしてからは寺と吉田家の両方の年賀状が混在するようになってデータベースの管理が急にややこしくなった。それで、毎年のように年末から年始にかけて年賀状の対応をどのようにすれば一番良いのか試行錯誤を繰り返しているが、まだ最善の策が見つかっていない。
個人的には、日頃から普通に親しく付き合っている友人知人とか、毎日仕事で顔を合わせている同僚とか、仕事の付き合いが外せない仕事仲間は、特に改まって年賀状のやりとりをするまでもないことのような気がしている。
日頃不義理をして疎遠になっている親族や、無視の出来ないほど大事な恩人や、気軽に逢うことの難しい遠方の友人知人が年賀状の対象であるくらいでいいような気がしている。
そうはいっても、こればかりはお互いに相手のあることだから、自分の身勝手な都合ばかりを優先するわけにもいかないし、相手に失礼のない気遣いも大事なことだから、それでいつも悶々と悩んでしまう。
この2〜3年の吉田家は前住職夫婦の他界で喪中も絡んだし、周辺の皆様も似たような状況らしく喪中はがきが増えていて、それも含めたデータベースの管理が年々複雑になっている。

万善寺オリジナルカレンダーや手摺り和紙のおふだなどを遠方のお檀家さんへ発送するためのデスクワークをしていたら、ワイフがお昼前に寺へ来て、早速彼女分の年賀状へ新年の挨拶や宛名書きをはじめた。
前住職の頃は、寺用の年賀状には出来るだけ「謹」の字を使うように気をつけていた。
「謹」には「うやまう」とか「かしこまる」とか相手に対して敬意を表する意味が込められているから「新年を飾る文字としては欠かさないほうが良い」と、前住職から聞かされていた。個人的には、かえって堅苦しく余所余所しく思えて、親しみの距離が遠ざかってしまうような印象もあったから、むしろ吉田家の年賀状へは「謹」絡みの文字とか言葉をあまり使用しないようにしていた。
そもそもの年賀状の意味というか意義はよくわからないが、どこかしら郵便局の営業戦略に思えなくもなく・・・まぁ、いろいろありますが新年のお知らせというか挨拶というか・・・ひとまず今週中には一段落するはずです。

2019正月状ますみ (1)

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通勤坊主2019 

2019/01/06
Sun. 23:14

年賀状のこととか幾つかの書類ごとが吉田家で停滞していて、そろそろワイフの我慢が限界に近づいているようだったので、一度石見銀山へ帰ることにした。

冬至を過ぎてから夜明けが少しずつ早くなっている。
雪の切れた駐車場に停めてあるある銀くんには、霜が張り付いて真っ白になっていた。しばらく暖機運転をして窓ガラスの霜を溶かしてから参道を下った。
さすがに境内は雪に埋もれているが、今年は参道や本堂下の駐車場が普通に使えている。
銀山街道を走りながらちょうど1年前のことを思い出していた。
気温が−5℃くらいまで下がって水道管が凍結したり風呂のカランが破裂したりして対応に苦労した。まだ辛うじて健気に動いていた結界君はお地蔵さんの前で雪に埋まって身動きできないでいた。

今年になってはじめて石見銀山へ帰った。
町並みはまだ寝静まっていて雪の痕跡もない。
吉田家はすでに玄関も雨戸も開いていた。きっと、ワイフが早朝のウォーキングへ出かけているのだろう。
土間からクロの鳴く声が聞こえた。まだ私のことを覚えてくれていたようだ。
留守にしていた間に土間へ積み上げてあった薪が無くなっていた。

1時間ほど吉田家で用事を済ませて寺へ引き返した。
正月は、時々年始のお参りがあるので昼のうちは寺を留守に出来ない。本堂の用事をしたりしながら留守番をするのが住職の仕事にもなるが、人が一人でも居れば、暖房や三度のメシとか無駄に光熱水費を垂れ流ししているようなところもあるから、いっそのこと万善寺も「冬季休業期間を作ってもいいかな?・・」と本気で考え始めているが、私の住職できる間はそうにもなるまい。

本堂の荘厳は10日位までそのままにしておく。お供えの手造り鏡餅はそろそろカビが出る頃なので既成のパック餅に入れ替えた。早速お昼にお下がりをいただくことにする。
庫裏の南側二つの部屋は、大屋根に積もった雪の重みを支えるために冬の間だけ襖で仕切ることにしている。模様替えというほどでもないが、明るい昼のうちに彫刻の場所替えをしたりお供え用のシキビを入れ替えたりした。
年末にバリカンを当てた頭がそろそろ見苦しくなったので、夕方早いうちに風呂へ入った。さっぱりした後の夕食はおせちの残り・・・これもそろそろ飽きてきたが、ワイフの手料理を無駄にできないし、三度の食事でセッセと消費している。

正月の年始行事が過ぎてから、時間だけはたっぷりあるから読み残しや読み返しの本を読んだり見逃した映画やドラマを観たりしようとは思うのだが、目先の用事を片付けていたら気づかない間にツイツイ時が過ぎてまとまった時間が無くなってしまう。それでも、気楽に一人でいられる自由はそれなりに捨てがたいものでもある。気づけば何か一つ事に意識を集中できていたりする。寺の1日がアッという間に過ぎた。

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テーマの本質 

2019/01/05
Sat. 17:49

正月の年始会が終わって、おおよそ後片付けの目処が付いたところでワイフとじゅん君は石見銀山の吉田家へ帰っていった。
今年はじゅん君が参道の道開けをしてくれたおかげで、万善寺の駐車場まで車を上げることが出来てとても助かった。
年始会の余り物やおせちを寺用と吉田家用に小分けしてくれたから、当分の間はそれでオヤジのひとり飯がまかなえる。

まだ、後片付けが終わらないでいる時に石見銀山で親しくしている友人が新年のお寺参りに来てくれた。
大雪でなければだいたい正月三ヶ日のいずれかに万善寺を訪ねてくれる。
たまたままだ改良衣のままだったから、般若心経などのお経で彼の家内安全や商売繁盛の祈念をした。
彼が夫婦で築き上げた今の商売が昨年で30周年を迎えた。
石見銀山の古民家を買い取ってお店に改装した直後に私がその店内外全体を使って個展をさせてもらったことが縁の始まりで、その後家族ぐるみで親しく付き合うようになった。
昨年からの個展は、その店の30周年記念事業の一環にもなっている。

近年は4〜5年を目処に継続している「吉田正純鉄の彫刻展」も今後何回まで続けられるかそろそろ先が見えてきた。
この個展のテーマの本質は30年前から一貫して変えていない。
自分としてはこのテーマの本質をできる限り抽象性の高いところでキープしておくことを心がけている。抽象性の高さレベルがその時時の個展テーマに昇華還元された核になって、それぞれ個展ごとに統一された彫刻の形態に具現化する仕組みを用意している。
自分の思考の根本は、物心ついた頃から普通に形而上の宗教的な概念世界に浮遊しているようなところがあって、造形表現はその一般的に掴みどころのない形而上的思考を形而下の実在世界へ具体的に落とし込むことの手段の一つと考えている。
形而上的抽象性は、幅広く点在する個々の具象を包括してよりシンプルで普遍的な造形へ方向付ける指標として、自分の造形感の重要な要素になっている。
いずれにしてもこういう面倒臭いことは自分だけが気にして思いつめていればいいだけのことで、個展の一つ一つの彫刻はそれなりの関連があって制作して出来上がっているという、まぁ、それだけのことだ。脳みそと身体が動いている限りは、そういうテーマの本質を退化させること無く追求し続けたいと願っているしだいです。

「全然気づかなかったんだけど、ネコチャンズが脱走してたのよ!」
何時もはワイフの方から電話してくることが殆ど無いのに、珍しく向こうから電話がかかってきた。
最初に気づいたのはシロが勝手口の外で鳴いていたからだという。それからクロもいないことに気づいて探したが見つからないまま時が過ぎて心配していたら、しばらく経って裏口の方で中へ入れろと鳴いたそうだ。彼らは2019年早々から初散歩を楽しんだようだ。
ネコチャンズにもあいたいし、一度寺暮らしを切り上げて石見銀山へ帰ろうかなぁ・・・

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偶然の一致 

2019/01/04
Fri. 23:47

三ヶ日も終わって、朝が少しゆっくりになった。
昨日からの晴天で放射冷却が強烈だ。
目は覚めているが寒いから布団にくるまって温々していたい気持ちが勝って、しばらく寝転がったままダラダラと過ごした。

ノッチがおばあちゃんちからの帰りにメガネを買った。
昨年帰国してしばらく「スキルアップ休暇」を決め込んでいたのだが、貯蓄の目減りが気になり始めた頃から本気に就活をはじめて11月から貿易事務の仕事に就いてそろそろ研修期間が過ぎる。先輩社員と同等の業務になると、今までのように定時退社も無くなって残業が増えるということだ。1日の殆どをデスクワークで過ごし「モニターの数字や書類とにらめっこすることになるから」と、ブルーライトカットのレンズに決めたそうだ。
キーポンは小さい頃から視力が弱くてメガネが手放せない。
学生で保育士の勉強を始めると、実践の現場でメガネは何かと不具合があることがわかってコンタクトレンズにした。それでも1日中そればかりだと疲れるし、自宅で過ごすときや職場以外ではメガネでいることもあるからと、今のメガネを買った。
お父さんのボクは、もともと遠視が強かった上に30代の頃から乱視が入りはじめ、疲れ目がひどくなった。それでも我慢して数年は乗り切っていたのだが、そのうち近くを見るための筋肉収縮が劣化して老眼が入ってデスクワークの事務や寺の寺務に影響が出るようになったからメガネ購入を決めた。それから寝る時以外は四六時中メガネの暮らしになって今に至っている。
1年ほど前、春の彫刻を造って完成したものを移動している時に、ちょっとした不注意で彫刻を引っ掛けてレンズへ傷を付けてしまった。運悪く、目の焦点が一番良く合うところにひっかき傷が着いたものだから、日常の暮らしには支障がないものの、本を読んだり字を書いたりする時になるとその傷が目に入って邪魔でしょうがない。我慢も限界になっていつものメガネ屋へ駆け込んだら「レンズ変えるしか無いですね」と気の毒そうに言われた。レンズ交換と新品メガネの購入がほぼ同じような金額で2000円と変わらないことがわかったので何時も使いと仕事使いと使い分けることにして夏の暑い時期に新調した。
いまのところメガネがいらないのはなっちゃんだけだが、「ワタシ、目が悪くなるほど目を使っていないから・・」と本人はそう言っている。それでも外国ドラマが大好きで暇な時には延々と見漁っているようだし、そのうち彼女もメガネが必要になるだろう。

メガネは3人それぞれ違う理由で違う店で買ったのに、気が合うというか顔形が似ているというか、偶然にもボストンタイプの似たようなデザインに揃った。
なっちゃん曰く「あのデザイン、今流行りみたいだから・・うちの会社でも何人か似たようなメガネかけてるよ」・・・だそうだ。
だいたい車にしても家電や家具にしても社会に氾濫する工業デザインというものは製造者主導で決まることがほとんどだから、今のボストンタイプもそういう流行に乗ったのかも知れない。それでも結局最後の決定判断は機能性が大事であって、それとデザインがキチンとシンクロすればそれがその人にとっての逸品となり得るはずだ。
今のメガネも今の視力が変わらないうちは大事に使い続けていこうと思っている。

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それぞれの正月 

2019/01/03
Thu. 23:14

正月3日は元日から続く年始の朝課法要最終になる。
この三ヶ日はだいたい1時間半から2時間をかけて本堂から庫裏の各所に安座される仏様方を巡って国家平安とか家内安全などの祈念をする。
先代住職は、まだ元気に身体が動く間、僧堂の修行時代から引き継いだ朝課システムを頑なに守り続けていたから、弟子の私もそれに習って鐘つきなど導師さまの侍者をしていたが、住職交代から後は少しずつ自分のペースに切り替えて今に至っている。
3日めの朝は、ワイフたちも石見銀山へ帰ってオヤジの一人暮らしが戻ったから、少しゆっくりと法要の準備をしたので、朝課が全て終わって大衣を脱いだ頃にはすっかり冬の夜が明けていた。

万善寺では昔から3日が保賀の集落の年始回りに決まっていた。
少年時代は住職のお供をして年始に歩き、やがて一人で年始回りをするようになり、結婚してからはワイフと回り、子供が出来て少し大きくなった頃からは子供たちと一緒に回り、その子供たちも自分の意志が固まり始めると長男から順番に一人ずつ減って、今はまた昔のように一人で集落をグルリと一周している。
最近は正月2日の年始参りされなかったお檀家さんへも早いうちに年始の品を持って回ることにしている。今年は青空の見えるうららかな日和になったので、保賀地内を回る流れで飯南高原をグルリと一廻りしておこうと決めた。
お昼前に寺を出発すれば、だいたい3時間ほどで終わるだろうと予定を立てて準備していたら電話が鳴った。
家族がいて賑やかだった頃は正月早々から長電話をしていたこともあったが、オヤジの一人暮らしが普通になった今では正月に電話が鳴ることも無くなって静かなものだ。
新年早々の電話はあまり良いことでないかも知れないとドキドキしながら出てみると、お檀家さんから1月に祥月命日のご先祖様にお経を読んでもらいたいと法事の依頼だった。仕事始めが普通に諸官庁へ準ずるようになって、いつまでも正月気分でノンビリとしていられなくなった昨今、そのお檀家さんもお休みをとれるのは今しかないし、ちょうど雪も降らなくて良い天気だし「万善寺さんのご都合が許されるようでしたらと急に思いつきまして・・簡単なことで構いませんから今日お経を読んでいただくと助かるんですが・・・」
自分の都合ばかりで申し訳無さそうな口ぶりだったので「ちょうど年始回りをするので、そのついでで良ければ・・・」ということになって、急きょ正月3日の法事が決まった。

急なことで塔婆も用意できないままの略式法事になったが、それでも喜んでもらえて帰りにはおせち料理のおすそ分けも頂いた。ワイフ手造りおせちとあわせて、たまの吟醸酒一杯で豪華な夕食になって、ひと心地してからSNSをチェックしたら、3姉妹が東京のおばあちゃん家へ集合してくれていて、久しぶりに孫たちに囲まれて嬉しそうだった。いつもは一人暮らしのおばあちゃん手造りのおせち料理はビックリするほど大量で豪華だ。たぶん、それぞれの孫たちへ少しずつ持ち帰らせるための気遣いもあるのだろう。
寺の正月は一般在家の団らんとは縁遠いところで過ぎていくが、一般社会でも正月営業で働く人々も限りない。
平成元号最後の万善寺の正月三ヶ日は珍しいほど穏やかに過ぎた。

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万善寺年始会今昔 

2019/01/02
Wed. 23:02

正月2日は原則として年始会が恒例になっている。
私が物心ついた時にはすでにそういう決まりができていて、当時は新年の祝賀祈念法要とその後てづくりおせちの精進料理や初餅のお雑煮や黄粉餅に日本酒の熱燗で日が暮れるまでエンドレスに酒宴が開催されていた。
近所からまかないでお願いした奥様方が5〜6人集まって、それぞれが自分の役割を分担して手際よく年始会を切り盛りしてもらっていた。
酒宴が盛り上がると流行歌がアチコチから出はじめたり、早々と何時もは家族が居間で使っている掘り炬燵へ移動して囲碁が始まったりした。
年始参りの檀信徒の皆さんの大半は、公共交通機関の路線バスの時刻に合わせて日が暮れる前に帰られる。今のように自家用車の持ち合わせなど稀なことで、せいぜい50ccのバイクくらいしかなかったから、雪の正月の寺参りはバスか徒歩だった。
お檀家さんで遠いところは一里以上もさきから徒歩で万善寺を目指す方もいて、年始参りも1日仕事になる。そこまでしてお寺参りされるくらいだから信心の強さも並ではなくて、正月早々年始会が2次会に突入する頃には、お参りの旦那衆総出で並んだ配膳机が片付けられ、取り払われていたふすまや障子が建て付けられ、いつもの掘り炬燵に復元されて、それから炬燵ごとのグループが出来て寺の運営で議論が始まるなどして賑やかなものだった。

高度経済成長とともに家族の離散が本格的になって、市街地で暮らす親族の帰省ラッシュが普通になって、それぞれのお檀家さんでは年始参りの信心より、久しぶりに揃う家族と過ごす正月が当たり前のことになった。
万善寺も、息子の私は30歳直前まで日頃は東京で暮らしていたから乗車率200%ほどの新幹線自由席や在来線を使って延々と10時間ほどかけて帰省することが当たり前だった。
その頃の万善寺は、年始参りもすでに激減していて、まかないでお願いしていた近所の奥様方も高齢を言い訳に一人ずつリタイヤされ、それに変わるように新婚間もないワイフが年末のうちから年始会の仕込みなどで都合よく内室のおかみさんを手伝わされるようになった。
私の方は、すでに少年時代から毎年繰り返される年末年始の決まりごととして粛々と受け止めていたからそれほど大きな感情の起伏も無かったが、在家から嫁いだワイフの方はある日突然に寺のまかないが回ってきて想定外の苦労を背負うことになった。それでも幸いに、お手伝いさんの数人はまだ引退前だったから、そういうご婦人方の他愛無い井戸端会議に救われて内室からのダイレクト司令を避けることが出来た。おかげさまでそれで嫁姑の直接対決を避けられたし、辛うじてギリギリ平常心でいられることが出来た。

私もワイフも彫刻家でもあるわけで、制作中はどちらかといえば自分の仕事をマイペースに進めることが多いから、万善寺のことも内室のおかみさんが他界してからは正月行事がずいぶんやりやすくなって楽になった。何事も、まずは誰かを当てにするところからスタートすると、かえってそのための事前事後の手間が負担になって気疲れする。はじめから他人を当てにしないでいたほうが気楽でいられて都合が良い。
今年の年始会は天気も落ち着いて、お参りも例年と変わりなく静かに始まって終わった。

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元日の朝 

2019/01/01
Tue. 23:40

正月元日の朝は井戸水をお湯にするところからはじまる。

午前0時を過ぎて、ワイフとじゅん君が除夜の鐘をつき終わるまでに新しい蝋燭へ火をつけ、線香をつけ、須弥壇の御本尊様をはじめ万善寺じゅうの諸仏へお供えする。それから井戸水を沸かして同じように本堂から庫裏の各所へお供えする。
万善寺の元日は先代住職の頃からだいたい同じことが繰り返されてきた。

同宗の近隣寺院がどのようなお正月をされるかわからないが、私は子供の頃から師匠である先代住職の司令を受けて眠い目をこすりながらそれらの決まりごとを繰り返していた。
師弟関係というものは、そういう日々の繰り返しが基本になるのだろう。
まずは、いつも同じことを同じように遺漏なく繰り返すことが出来るようになるということが大事なことだと、先代住職がほぼ寝たきりになってから気がついた。
だから、守破離の「守」の重要さが自覚できたのはつい最近のこと。
何をするにも前後後先の順序がとにかく曖昧でコトが先に進まない。物心ついた頃から自分の坊主人生のほとんどで毎年同じことを繰り返し続けていたはずなのに、すべて自分の責任で取り仕切ろうとすると、何もかもが中途半端に曖昧でとたんに自信が失せる。
師弟関係であっても私の場合はその前に親子関係でもあったから、どこかしら父親への反抗心もあって、完全に公私が混同されたままの師弟関係になってしまっていた。謙虚な気持ちでモノを教わるという自覚が足りない・・というより「ほとんど皆無に近かったのだ!」と今更ながら気づいた。
先代住職は人生の殆ど半分は病気と付き合いながら生きてきて、それでも90歳近くまで長生きできていたわけだから、私がその気になって師匠の所作へ寄り添っていれば今の不安はずいぶん軽減できていたはずだが、とにかくなにごとも時すでに遅し!・・・

「坊主の弟子は持たない」と、心に決めている。だから、万善寺の次代には住職の姓が変わるはずだ。それでいいと思うし、自分の宿命を思うとむしろ「その方が良い!」と思う。ずいぶん身勝手なことだが、今の周辺環境や社会事情の客観性に即して自分の立ち位置をみればそれが最善の選択肢だと思う。
実にモタモタしつつ、それでもそれなりに自分の身辺整理を心がけている。
特に、長男であり一般常識的師弟関係の対象として一番身近な存在であるじゅん君には対応が難しい。
年末からワイフと一緒に万善寺で親子三人の暮らしを続けているが、彼の信仰心を直ぐ側で見ていると、仏教の根本からは程遠いところにあると気付く。それはそれで、彼の気持ちが収まることであればそれで良い。彼ももう30歳を過ぎるし、すでに立派な彼なりの人格が形成されているわけだ。

初釜の湯をお供えして、元日の法要をはじめて、ひと通り各所の仏様を一巡して、すべての次第が終了したのはそれから2時間ほどあと。そのまま徹夜で正月2日の年始会準備に入った。すべて自分一人で取り仕切らなければいけないことなのだが、朝になって元日の朝食が終わってしばらくして、ワイフが見るに見かねて遅れた準備を手伝ってくれた。

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ヤル気の素 

2018/12/31
Mon. 23:01

「○△※□◇〜〜」・・・

庫裏の西の端から北の裏山の方へほぼ正方形に出張った台所をDIYで長方形2つの部屋へ改造して、オヤジの坊主暮らしはその2部屋を行き来しながらだいたいの用事を済ませている。
いつもは食事に使っているダイニングテーブルを片付けて年末の万善寺寺務をしていたら、庫裏玄関から男の声が聞こえた。年末のお客さんか宅配の業者さんが来たのかと思って急いで出てみるとじゅん君だった。
「じゅん君かぁ〜〜・・」
「ただいまぁ〜〜・・」
「あぁ〜、おかえり・・ご苦労さま・・」
それから少しして、ワイフが「ただいまぁ〜〜」と荷物を抱えて玄関へ入ってきた。

「(ただいまぁ〜〜)・・・か・・・」
何かしら、ちょっと嬉しかった。
どちらかといえば自分としては、通勤坊主や単身赴任で生家である万善寺へ「行ってくる・・」じゃなくて「帰ってくる!」気持ちの方が若干強いかな・・・
石見銀山をベースに暮らす吉田家家族からすると、万善寺は(自分の家へ帰る・・)感覚からは遠い気がする。なんとなくそう思っていたものだから彼らの「ただいまぁ〜〜!」の一言が嬉しかった。

毎年それなりの出来事があって、年末になるとそのしわ寄せのようなものが立て込んで気ぜわしく落ち着かないことが増えるからそれも仕方のないことだと諦めも加わった数日を粛々と過ごしているのだが、この1年間は何時にもましてとにかくいろいろと厳しいことが続いたものだから、今まで以上に心身の負担が増して身体のアチコチで不具合のサインが多発していた。それで、ちょっと沈んだ気持ちでいたときのことだったので「ただいまぁ〜〜」のたった一言で自分の気持ちがかなり晴れ晴れとして、ヤル気が復活した。

除夜の鐘ギリギリまで本堂へ入り浸ってベッタリと諸仏さんと付き合っている。
須弥壇の御本尊様は千手千眼観世音菩薩さまと云われているが、先代住職には十一面観世音菩薩も合体した特別に珍しい本尊様だと教えられた。自分としては、ベーシックな千手千眼観世音菩薩だと思うのだが、仏教美術の専門家ではないから正しくはどちらなのかわからない。須弥壇の右には大権(だいげん)さま、左には達磨さまが安座されている。続き部屋には両本山の開祖様が安座され、その隣に豊川稲荷がお祀りされている。須弥壇の裏側は万善寺開祖様以下歴代の大和尚さま方がお祀りの位牌堂があって、その隣に檀信徒のみなさまの位牌堂などがある。
本堂にいるといつも思うのだが、偶像物を中心に様々な信仰の抽象的造形がそれを取り囲んで独特な空間が創り出されていて、その具象と抽象の混沌とした混在が不思議に面白い。
彫刻家としての今の自分の造形感の原点は、多分そのあたりから発しているのだと思う。

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単身赴任坊主の年末 

2018/12/30
Sun. 23:29

こうみえても、ボクは小心者の心配性なものだから、ひと晩の雪のことが気になって朝もまだ暗いうちから目が覚めてしまう・・・
それで、今朝もオシッコのついでに庫裏の南側の縁側で雪の具合を確かめると、昨日夕方近くに参道を往復しておいたのに、それが辛うじて確認できるくらいまでたっぷりと降り積もっていた。

決して雪が嫌いではない。むしろ冬になると雪の降るのを心の何処かで待ちわびているようなところがある。
今年のシーズンは、年末ギリギリまで全く雪の降る気配がなく「このままだと、雪のない正月になるのかも知れない・・」などと、少々がっかりしていたところだ。
それが、28日から一気に強力寒気団が南下して飯南高原はもちろん、石見銀山の方でも雪が降り始めた。
石見銀山は申し訳程度に白くなったくらいで、すぐに消えたそうだが、さすがに飯南高原はそこまで甘くない。それから今日まで連日絶え間なく降り続けている。

夜が明けて少し明るくなってから外に出ると、空全体が暗いグレーに染まっていた。
萬善寺の上空は雪が切れているが、近所の何処かでは集中して雪が降っている感じだ。
お地蔵さんの脇へ路上駐車してある銀くんへシキビと梅と松が積んであるから、それを運び上げるついでに参道の道を開けた。
雪が重たくてかなりの重労働になる。
銀くんもひと晩のうちに全身雪に埋まっていた。

本堂から庫裏の各所へ松竹梅のお供えをして、最後にお地蔵さんまで参道を下りて鏡餅といっしょにお供えをしてご真言をお唱えした頃は、もうお昼になっていた。
朝は厚い雲で覆われていた南の空が若干明るくなって、時折弱々しい日差しも感じる。とりあえず強力寒波が収束に向かっているのかもしれない。少し寒さが和らぐと重たい雪が水っぽくなってますます重くなる。このまま雪が止めば除雪をしないでも勝手に消えてくれるからそれを期待したい。
たった3日間の除雪労働ですでに膝がガクガクしてくるぶしの古傷がうずきはじめ、腰の骨がコキコキと乾いた音をたてている。
まだまだ寺の年末の用事は山積みだが、正月早々寝込むわけにもいかないし、大事を取って少し早めに風呂へ入って身体をほぐしておくことにした。気づくと頭もヒゲも伸び放題でむさ苦しくて貧相なオヤジ顔になっていた。充電が弱ったバリカンが伸びた髪の毛に負けてしまう。裸のままいつもの倍くらい時間をかけて床屋をしていたら、風呂で身体を暖めるどころか完全に冷え切ってしまった。
湯気で曇った鏡の下を飛び跳ねる気力も失せたベンジョコオロギが弱々しく歩いて横切った。風呂の何処かで越冬をするつもりだったのかもしれないが、考えが甘い・・・

夕食でオヤジのひとり飯は、冷凍庫をあさってタコの頭を解凍しておいたものにシメジを添えてアヒージョにした。

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重たい雪 

2018/12/29
Sat. 14:42

夜半から降り始めた雪が朝になっても絶え間なく降り続いている。
まだ雪の降る前に境内に乗り入れた銀くんを朝のうちにお地蔵さんのところまでおろしておいた。

寺の作務もキリがないほど沢山あって、それらを自分一人でこなしているとアッという間に1日が過ぎる。
過去帳から来年の年回法事を繰り出していたら、ガス屋さんがプロパンガスの補充にやってきた。萬善寺は雪が本格的になると境内へ軽トラを上げることが難しくなるから、その前にひと冬分のボンベを追加しておく。雪がどんどん降り積もる中、参道に残った銀くんのタイヤの轍を頼って辛うじて登りきってくれた。
過去帳の繰り出しが一区切り着いたところで、参道の道開けに出かけた。
今度の寒波はまだ気温が高い方で、雪がやたらに重たい。こういう雪質だと1回の参道の往復で1日分の体力をほぼ全て使い切ってしまう。道開けを終わって庫裏玄関へ帰った頃は腰が痛くて長靴を脱ぐことが出来ないほどだった。少し落ち着くまで雪の中をうろついて、スズメの餌場に古古米を補充したりした。その間にも本堂の大屋根から雪吊りが続いている。

吉田家に幾つか大事な忘れ物をしていて、思い出すたびにワイフへ電話していたらそのうち少しずつ機嫌が悪くなってきた。彼女の方も年末のアレコレで忙しくしているわけだから当たり前のことだとは思うが、日頃は通勤坊主で二重生活をしているからそれも仕方がないことだと思う。毎年この時期同じことを同じように繰り返しているはずなのにどうしても忘れ物が減らない。これから先こういう大事なことを忘れることが増えることはあっても減ることはないだろうから、今のうちに年末年始の年越し作務を記録しておく必要を感じる。
1日が終わって次の1日が始まるだけのことなのに、1年の終わりと始まりのことになるととたんに何もかもが更新されて気ぜわしくなる。
毎年の1年を振り返ると、1日として同じ出来事の1日を繰り返すことがないのに、年越しの1日だけは同じように巡ってくるから、結局何もかもをその1日にあわせて都合をつけている。自分としてはどうも釈然としないもどかしさもあるが、だから自分の自由に振る舞うこともはばかられる。坊主という商売柄で余計に窮屈な決まりごとで縛られているところもあってどうなるものでもない。

外は休み無く雪が降り続いている。重たい雪だし、1日で2回は道を開けておかないと次の日の道開けが辛くなる。
本格的な冬がはじまった。
石見銀山の田んぼ彫刻は降り積もった雪でどんな具合に変化しているのだろう?
そのことも気になるし、今度の雪が残っている年内に一度は記録にとっておきたい。正月の御札を手摺りしなければいけない。町外のお檀家さん宛てへ年始の発送準備もある。元号が変わることでもあるし、年賀状は別の手段へ切り替えようと考えている。
あと3日もないのに、全部できるのだろうか??

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平成最後の年末 

2018/12/28
Fri. 23:21

年内最強の寒波が南下してくるという。
雪は避けられない状態のようだし、萬善寺の参道は積雪で4WDの銀くんでも登ることができなくなるから、重たい荷物とか大きなかさばるものは事前に寺へ搬入しておいたほうが賢明だ。

前日に萬善寺入りして、ワイフが持たせてくれた鏡餅やお正月の年始会で必要な食材などを搬入した。
しばらく石見銀山の暮らしが続いている間に、たぬきが寺の留守番をしてくれていたようで、庫裏の西の端の勝手口から本堂の東側の基礎石の角まで、要所要所にウンコのマーキングをして夜回りをしてくれていた。
今年は、年始めの寒波と夏の猛暑で母親が育てていた鉢ものがほとんど絶えた。
そのなかの幾つかは鉢から地植えに移して何とかひと夏を乗り切ることが出来たものの、今度の年末寒波に絶えられるかどうか、微妙なところだ。
植物はしゃべらないし動かないから自分の身勝手な都合で面倒をみるくらいしかしょうがない。特別植物が嫌いというわけでもないが、わざわざ水やりをいてまで育てようとも思わない。それに、放ったらかしで何もしないと際限なくはびこってしまうこともあったりして、そうなってからではよけいに始末が悪い。毎年、秋になって落葉してから刈り込んで絶やしてやろうと考えてはいるのだが、秋は一方で彫刻制作の繁忙期だから、庭木や植木の剪定にまで労力が及ばないまま、結局ははびこるままになって今に至っている。

植物というと、正月の松竹梅の準備もある。
これも天気との関係でなかなか日程の調整が難しい。
前住職が他界して3年になるし、そろそろ現住職なりのシステムを導入しても良さそうな気もする。結局は個人の趣向で決まることでもあるが、今年は、松竹梅も含めて生物のお供えは最小限に留めてみようと思っている。
萬善寺の周囲を見渡すと、松は数十年前のマツクイムシ襲来以来、近所からの採取が難しくなった。梅は20年ほど前に西の畑へ植林したが、その後母親の老化に伴って管理が手薄になって今は原生林に近づいた荒れ地に変わった。竹は春先の筍採取に私の手が回らなくて猛烈な勢いで寺の周囲を攻められている。今年の春にはついに寺の東側の庭で1本ほど伸びて、今は本堂の軒に成長を阻止されて窮屈に斜めに曲がっている。松竹梅も縁起物で大事な年越しグッズになっているのだとは思うが、結局は成長の芽を摘んで枯らしてとんど祭りの焚付に変わっているだけのことだから、自分としてはそういう人間の身勝手な利己主義の具現化が良いことだとは思わない。

これから29日を避けて、本堂の供え物などをして荘厳を完成させるつもりだが、平成の元号で年越しをするのも最後になることだし、次の元号を目指して気持ちや様式の切り替えを質素倹約優先で取り仕切っても良いかなと思っている。仏事行事の継承に反する行為かもしれないし、なにかと異論があるかもしれないが、今後、老化を避けられない我が身としては、現行行事の継承が途絶える日も避けられないことでもある。今のうちから最小限の労働作務でできることにしておけば、それはそれで少しは長続きするかも知れない。

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年越し準備 

2018/12/27
Thu. 11:18

じゅん君には高校時代からの仲のいい同級生が数人いて、帰省すると連日飽きもせず誰かと何処かで逢っているようだ。
みんな、それなりにヤンチャな連中で何かと騒ぎのネタをふりまいていたこともあって、そういう類友の結束力が今に至っているのだろう。
オヤジの私の方は濃厚な友人付き合いから縁遠くて、どちらかというと鬱陶しかったり面倒だったりする方へシフトしているようなところがあるから、じゅん君の行動はどうもよくわからないところがある。それでも、生涯を通して気の許せる友人がいるということは良いことであるとは思う。

煙突掃除が終わってから大田市の蕎麦屋さんで昼食にした。
その蕎麦屋は、じゅん君が仲良くしている友達がお母さんと二人で営業している。
彼は、出雲蕎麦の老舗で数年間ほど本格的な修行をした。1日の営業分だけそば打ちをして、それが無くなると店じまいになる。変則四つ角にある店で駐車場も無いからなかなか気楽に入りにくいところもあるが、一度味を占めるとその上品な旨さのとりこになる。
その店での私は、だいたい釜揚げそばとざるそばを食べて、最後にそばがきを注文する。
ワイフやじゅん君はその時々で違うが、今回は山かけそばの温かいのを頼んでいた。

それほど寒い1日でもなかったが、煙突がきれいになったこともあって、じゅん君がガンガンストーブを焚いた。ひと頃は部屋中が熱くなって半袖で十分なほどになった。
デスクトップや周辺機器を2階へ移動したから夕食後は自室で過ごすことが増えた。住所録を整理していたら富山町のKさんから電話が入った。11月のイベントが終わってすぐにお願いしていたことがあって、その状況結果の連絡だった。それで、翌日1日の行動予定が決まった。

「ねぇ、久しぶりに温泉行かない?」
そばを食べた帰りにワイフが誘ってきた。確かにもう2年は遠ざかっている気がする。夫婦して温泉は好きな方なのだが、とにかく最近なかなかそういう時間がとれなかった。せっかくワイフがその気になってくれたことだし、自分の都合だけで断るのもどうかと思うし、富山の方は何とか工夫できるだろうとワイフの誘いに乗った。
温泉が久しぶりだったからだろうか、どこかしら湯当たりしたように全身がだるくて身体が思うように動かなくて苦労したが、それでも午後から寺へ移動して本堂の荘厳を正月仕様に整え、萬善寺の要所へしめ縄を飾って床の間の軸を替えて正月準備をした。あとは年末ギリギリに鏡餅をお供えしたり来年1年有効の御札を手刷りすれば年末のおおよその萬善寺寺務が終わる。
夕方近くになって給油へ回って、それから富山へ移動した。ちょうど帰宅ラッシュにぶつかってしまって、富山へ着いた時は夜になってしまった。Kさんがらみの用事を済ませて帰宅したら、じゅん君は例の仲の良い連中とささやかな忘年会で出かけていた。
「今夜は湯豆腐ね♡!」
それを聞くと飲まずにはいられない・・・蔵出しの純米酒をコップ1杯ほど冷で頂いた。昆布としいたけの出汁がきいた湯豆腐は久しぶりに絶品だった。

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クリスマスの煙突掃除 

2018/12/26
Wed. 23:09

吉田家にサンタさんが来てくれなくなって2年目になるかなぁ〜・・・
どうして来なくなったかいろいろ考えてみた結果、一つほど思い当たるフシがあった。
「そうか!そういえばストーブシーズンに入ってから煙突掃除してないなぁ〜」
そういうわけで、クリスマスは朝から煙突掃除をすることになった。
今年はじゅん君も手伝ってくれることになったので、ジックリと徹底的に掃除ができる。

改築してから20年は過ぎたトタン屋根は煙突からの煤煙をかぶってかなり錆びてきた。
屋根に上るたびに手の届く範囲は使いかけのラッカースプレーを吹き付けて応急処置を繰り返しているが、それもそろそろ限界に近い。
彫刻の制作資金で500円貯金を続けているものを、これから1年分は二手に分けてトタン屋根の修繕費に当てようと、屋根の上で決めた。加えて、今のうちにストーブを更新することも決めた。
自分の体力を考えるとこれから先10年もつかどうか微妙だし、それだけ生きていられるかどうか怪しいものだ。そろそろ後々のことをホンキで考えて周辺の環境を見渡して身辺整理をはじめたほうが良さそうだ・・・

屋根から裏庭の庭木越しにチラチラと田んぼの彫刻が見え隠れしている。
当初の計画だと、11月の終わりに設置した後、12月早々には雪が降って彫刻の雪景色を撮影したものを第2段の展覧会お知らせとして発送する予定だった。それが、待てど暮らせど気温が下がる気配もなく、チョット天気が悪くなるとシトシトと梅雨のような雨がしばらく降る程度で、北風が吹くこともなく気がつけば雲が切れて青空が覗いている。
ずいぶん昔にこんな感じの12月があったような気がする。年内に雪が降らなかったこともあったような気がする。そういうシーズンは年が明けて3月になってもまだ時々雪が降ったり、ひどい時は4月の入学式に桜吹雪きどころか雪が降り積もったこともあった。今年も、なんとなくそういう状況に似ている。

吉田家の薪ストーブは増築箇所の壁に穴を開けて縦横のステンレス煙突をクランク状に曲げて外へ出している。煙の匕ッパリ具合を調整するには、縦の煙突を横の3倍位に伸ばしておくと横煙突へ灰が溜まりにくくて都合がいい。燃料になる薪の種類によるが、ここ数年焚き続けている間伐の杉材はタールが多いから煙突内部にこびりついて煙道の表面積が増えてそれに灰が絡みついてくる。煙道で巻き上がった火の粉を含んだ灰が着火剤になってタールに火が着くことがあって、それが火災の元になる。まだ萬善寺の風呂を薪で沸かしていた頃、煙突の煙道が細くなってバックファイアーをおこしたことを見たことがある。つい数週間前にはお檀家さんが1軒お風呂が火元で全焼された。
薪ストーブは一時期新築住宅の流行になったことがある。銀山街道沿いにも数軒ほど煙突のある家を見かけるが、年中薪のストックが積み上げられてシーズンを通して煙突から煙が上っているところはなかなか少ない。
「あなたがいなくなったら薪ストーブも終わりね。ワタシじゃ薪つくり無理だから・・」
吉田家もワイフが思い出したように時々そう言ってくる。
それにしてもクリスマス当日に煙突掃除をしたのは、はじめてのことだ・・・

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イブの朝 

2018/12/25
Tue. 22:46

仏教の坊主としてはクリスマスだから特になにかすることもないし、いつもと変わらない1日が始まって終わる。
独り立ちしてそれぞれの生活を始めた4人の子供達がいなくなってからイブの夜に家族が集って豪華なワイフの手づくり料理を堪能することもなくなって静かなものだ。それでも今年は珍しくじゅん君が帰省しているから夕食も少し豪華になった。

イブの朝・・かなり激しい雨音で目が醒めた。
朝といってもまだ真夜中に近い頃から続く雨の音が気になって眠れなくなった。
確か金曜日から4回目のリバイバルでガガが主演した「スター誕生」が封切りされたはずだ。
お檀家さんのお仏壇一式とお位牌さんの開眼仏事を終わって、やっと一息ついた。
吉田家のメンテナンス一式や万善寺の年末年始のこともあるから、のんびりと映画を見る余裕があるわけでもないが、何かしら気持ちの区切りを用意しておくのも大事なことだし、年内の仕事が落ち着いたワイフを「映画に誘って見よう・・」と、眠れないまま決めた。
私にとっての「スター誕生」は、なんといってもバーバラ・ストライサンドに尽きる。良くも悪くも彼女の歌唱力がすごかったことを覚えている。クリス・クリストファーソンのカントリー・ロックミュージシャンも俗っぽくて映画のストーリーによくあっていたと思う。それにしても、バーバラ・ストライサンドは声もきれいだし歌が上手いことに感心した。あれはきっとあの鼻の大きさと密接に関係があるはずだとあの当時は本気でそう思っていた。確か彼女の歌はグラミーかアカデミーでなにかの賞をとっていたと思うが、よく覚えていない。映画が終わる頃には鼻の大きさが気にならなくなっていたから不思議だ。

最新作のスター誕生は、レディ・ガガ主演で前評判も良さそうだし封切り間もないし「結構混んでいるかも・・」と、気になって朝一番の上映時間をチェックして出かけた。チケットの自動券売機前にはそれなりの人だかりができていた。少し並んで発券の操作をしたら、吉田夫婦が「スター誕生」チケット購入第1番と2番だった。あれだけの人だかりは「いったいなんなのだ!」と、状況の判断に苦しんだが、ハリー・ポッター系列の映画に人気が集まっているということにすぐあとで気づいた。吉田家の二人は世間の嗜好と少しばかりズレを生じていたようだ。
それで、最新版スター誕生は、ガガのアリーがびっくりするほど自然で良かった。歌も歌声もバーバラ・ストライサンドとはまた違って新鮮で素敵で良かった。ブラッドリー・クーパーのつぶれた喉から縛りだすようなザラッとした低音にシビレた。ストーリーの方は・・・あまり喋りすぎるとマズイかな??・・とにかく、なかなか今風でよかった。ハリウッドの常道で既成の概念から逸脱しないシンプルなストーリー展開が、安心して楽しめるエンターテイメントに仕上がっていた。
映画が終わって、お昼前にロビーへ出ると入場を待つ人だかりがすごいことになっていた。初回上映のチョイスは「大成功!」だったと思うが、吉田夫婦の他に年配の男性が2人と、若い女性の二人連れと、都合6人でほぼ貸切状態!・・・って、どうだかなぁ〜?
ちょっとずれた映画好きにとっては田舎のT-JOYシネマもなかなかいいですなぁ〜

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じゅん君帰宅 

2018/12/24
Mon. 20:10

現在海士町在住のじゅん君が冬休みで帰ってきた。
だいたいに男というものはみんな似たような感じなのかも知れないが、じゅん君は現在の自分の状況を細かく報告するようなことがないから、どういう経緯で帰省したのかよくわからないところがある。
私の周辺では25日に学校の終業式があって冬休みはそれから後のことが多い気もする。最近の学校の先生は世間の勤務体系と同じように年内の仕事納めまでは普通に勤務が続くはずだし、クリスマス前から年が明けて学校が始まるまで延々と休み続けることが出来るのかどうかもよくわからない。特別ズル休みをしているわけでもないだろうから、親父が気にすることもないことだろうが、それでも簡単な現状の報告くらいはあっても良いと思うんだけど・・・想像するに、隠岐の生活ももう4年になるし、義務教育に正式採用も決まったから、今まで貯まっている有給休暇や代休の解消をしているのかも知れない。
まぁ、そんなわけで、寺から吉田家へ帰ってきたらじゅん君がいたという次第。

デスクトップがリビングの隅にあって、自宅での事務処理はその場所を使っていたのだが、じゅん君の寝場所にもなっていて、自分の自由がなくなった。
プリンターなどの周辺機器も一式パソコン周りに集まってケーブルで繋がっているし、それでなくてもラップトップが機能しなくなってから後、何かと不自由が続いているところへ追い打ちがかかってしまった状態だ。

その夜、ネコチャンズが珍しく私の寝室になっている2階の元キーポンの部屋へ時間差でやってきた。
シロは早々と電気炬燵へ潜り込んで私の足元で丸くなった。
クロはそれからしばらくしてから2階へ上がってきて炬燵布団をガサゴソやっていたが、読書中の私の真横の窮屈なところへ落ち着いて丸くなった。
いつもはワイフの周辺でゴロゴロしていることがほとんどのネコチャンズが、じゅん君の帰省でオヤジのところへ避難してきたふうな感じだ。そのうち彼らも腹が減ったりのどが渇いたりしたら仕方なしにじゅん君の横をすり抜けざるを得なくなるから、そうこうしている間に警戒心も薄れて慣れてくるだろう。
2018年も残りわずかだし、このまま吉田家のデスクワークを停滞させるわけにいかないから、年末の大掃除も兼ねて現在のオヤジの寝室を書斎兼用に出来ないか工夫することにした。
ボクの寝室はワイフが彫刻を制作している工房部屋の真上だから、それなりに広いのだが、半分は子供たちが昔着ていた洋服や最後まで我が物顔で使っていたキーポンの荷物で占領されていて、石見銀山の町並みに面した明かりとりの窓際にはネコチャンズが外の様子を見ながらしばしくつろげるほどのスペースも用意してある。その並びには子供たちが使いまわしていた勉強机が2基並んでいたりして、結局自由に使えそうな場所は以前書斎で使っていた四畳半より狭いスペースしか残っていない。
まがりなりにも吉田家の家長としてはどこかしら家族からしいたげられた不条理を感じなくもないが、深く思い悩んでも現状を改善できる余地がそれほどあるわけでもなく、ひとまずはあまり深く考えないことにした。

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年の瀬の訃報 

2018/12/23
Sun. 17:28

年の瀬になって急に慌ただしくなった。
宗門手帳を見ると、12月のページはほぼ空白で2日のワークショップと14日の新蕎麦の会と松永さんの来訪くらいだったのが、ここにきて連日のようにアチコチから駆け込み法事などの問い合せが入って、土日祭日を中心に年末ギリギリまで寺の用事が立て込んできた。
たぶん、そういうことも今年だけのことだと思う。
例年だとこの時期は根雪になるかならないか微妙な感じの雪がそれなりに積もっていて、そういう時に駆け込み法事の依頼などまずこない。寺の方は毎年変わりなく冬シーズンの維持管理を中心に年末年始の決まりごとを粛々と繰り返しているだけのことなのだが、今年はそれもなかなか出来なくて、その影響で石見銀山の吉田家のことがどんどん後回しになっている。このままだと年内に済まそうと思っていた自分の彫刻制作など、完全に何処か遠い彼方へ消え去ってしまいそうだ。せっかく材料も届いて消耗品の補充も済んだところなのに・・・なかなか自分の思うように上手く事が進まないものだ・・・

萬善寺で幾つかの用事を片付けていたらワイフから電話が入った。
石見銀山の天理教大森支部長さんのご母堂が亡くなったとの知らせだった。天理教は日本宗教をザックリくくると神道に寄っていて仏教とは葬祭の様式がずいぶん違っている。私は仏教でいうところの通夜に当たる神事しか参列できないからその開始時間へ間に合うように急いで石見銀山へ帰った。喪服は着る機会もないまま何処かに仕舞い込んだままだから、寺で改良衣に着替えてそのまま通夜神事に出席した。坊主が改良衣で榊を玉串奉奠するという、日頃はなかなか遭遇しない機会を得たわけだが、個人的には故人を見送る気持ちに変わりがあることでもないし、それはそれで何の問題もないと思っているのに、隣に着座の参列者がやたらとうるさく根掘り葉掘り知ったかぶりの宗教を問い掛けてくるものだから、とにかくボク的には面倒臭い居心地の悪い通夜神事になってしまった。

帰宅して、賞味期限が切れて不味くなった日本酒を飲みながら遅めの夕食を済ませて少し落ち着いてから自宅のパソコンを開いてメールチェックをしたら、木彫家の小島弘さんの訃報が入っていた。詳しいことはわからないが、もうかなりの高齢だったからきっと大往生だっただろうと思うことにした。
島根県の小品彫刻展をスタートした当初から数年前まで毎年欠かさず素敵な木彫作品を出品していただいた。奥様に先立たれ、その後しばらくして自ら介護移設へ入所され、静かな余生を送られたようだ。小品彫刻展の方は、入所を決断されたところで丁寧な出品辞退の手紙を頂いた。
何事も几帳面に滞りなく処理される様子は、日頃から自堕落に過ぎる私にはなかなかマネの出来ないことだ。
まだ健在だった頃の厳格な所作言動は、気楽に近づき難いオーラが漂っていて、田舎者のボクなどは視線を逸らせて避けて通っているようなところもあったが、小島さんの方はキチンと吉田と吉田の彫刻のことを認識されていたようだ。
木彫の小島彫刻は抽象への境界を踏み越える一歩手前までデフォルメされた緊張感のある洗練されて気骨のある具象のムーブマンが実に魅力的だった・・・九拝合掌・・

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更新追記:11/11坊主彫刻家的嗜好
徳島でいい感じの錆色に色づいた彫刻が石見銀山のいつもの田んぼへ帰ってきました。
これから年越しをして3月末まで動きません・・・みなさん、冬の間しか観ることができませんよ!

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デスクトップフル稼働 

2018/12/22
Sat. 08:06

Cloudへ移動しておいた書きかけのBlog原稿を引き出してチェックしてみると、2〜3行で終わったり半分ほどで終わっていたりする中途半端なページが大量に貯まっていた。
ラップトップの有り難さをあらためて噛み締めている・・・
過ぎたことは仕方がないから、半分ほどは諦めが着いているものの「まだなんとかなるかも知れない・・」と、少し時間の余裕ができてからささやかな望みをAppleの修理へ託してみようと思っているところだ。

松永さんが徳島から吉田の個展と彫刻小品展の会場視察を兼ねて石見銀山へ来てくれたのは今から1週間前のこと。
2泊3日ほど島根県で滞在してくれたのだが、萬善寺の用事で3日めの見送りが出来ないまま中途半端に別れた後、年末の駆け込み法事が続いて彫刻制作どころではなくなった。
連日通勤坊主をして寺の用事を片付けて庫裏玄関へ帰ってみるとポストにゆうパックの不在連絡票がこれもまた連日のように投げ込んである。
田舎の山寺は昔ながらに施主家での法事が主流だから、朝のうちから寺を留守にして帰宅するのはだいたいお昼を過ぎて2時か3時位になる。玄関先で改良衣のまますぐに折り返しの電話をかけると聞き覚えのある宅配担当さんの声が返ってくる。二度手間が申し訳ないとも思うが、仕事の約束事を丁寧に守り続けることも事業の信用を保つ大事なことだから、自分勝手な仏心の対案でむやみに担当さんの業務へ踏み込まないようにしている。

夕方になって再配達が届くまで数時間の間が空くから、その間に積み残しの過去ブログをアレコレ記憶の糸を類って思い出しながらまとめることにしたものの、寺に居れば居たで何かと寺の用事が目について気になったりして、ツイツイそちらを優先してしまう。
これといって改めて記録に残しておくほどのたいした出来事が続くわけでもないのだが、それでも毎日何かしら少し違ったその日だけの出来事が過ぎていく。やはり何かしら1日の出来事を再確認して自堕落な自分の戒めにしておくことも必要なことだと改めて思う。

「年内にお位牌さんをなんとかしたいと思っとりますんですが・・・」
今年は、本格的な雪になっていないせいか、12月に入ってから今までにないほど急な仏事依頼がいろいろと舞い込んでくる。お檀家さんも年々1歳ずつ歳を重ねて高齢化が進んで、そうなると一つ一つの思いつきに余裕が無くなるふうになるのかもしれない。それほど差し迫ったことでもないだろうという気もするが、それはそれ、私が勝手にそう思ってしまっているだけのことなので、とにかく自分の都合を飲み込んでお檀家さんのその時の気持ちを最優先でお付き合いをさせていただいている。まぁ、萬善寺の場合はそういうことが普通にできる程度の檀家数だからネ・・・
「チョット急な書き物が出来たから今夜はお寺で泊まります・・」
ワイフにそう伝えてから硯を出して墨を摺り始めた。そのお位牌さんは箱位牌とか繰り出し位牌とか俗にそう云う。
ついでというわけでもないが、萬善寺カレンダーの制作に入った。もう何年も前から続けていてデータベースが残っているから楽にできる。こういう時はデスクトップがフル稼働する。そのまたついでに、積み残しのBlogも少しだけ記事が埋まった。

カレンダー1月

更新追記:11/10「土曜日の朝」
徳島の野外彫刻を撤収するはずだったんだけど、周藤さんが代行してくれました・・・感謝!

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ブログ停滞事情 

2018/12/21
Fri. 19:03

かれこれ1ヶ月は前のこと・・・ボクのラップトップがついにクラッシュしたのです!

数年前に「もうダメかもしれない・・」と諦めかけたことがあった。
その時はシステムを入れ替えたり、いらないデータを大量に削除したりして何とか普通に動くようになったものの、前のようにサクサクとストレス無くデスクワークが出来るまでには回復しないまま、ダマシダマシ使っていたところだった。
はじめの頃は「前はもっとらくにうごいていたのになぁ〜・・」とモタッとした動きが気になってしょうがなかったのに、そのうちそれが普通になって「こんなもんだろう・・」と思うようになって、知らない間にそういうラップトップへ慣れてしまっていた。
工場へ出かける時も、通勤坊主の時も、彫刻を銀くんへ積んで徳島へ行った時も、とにかく旅のお供にいつも一緒に持ち歩いていた。
充電ケーブルの接触に不具合があったり、ガサツに使いまわしてアチコチぶつけてボコボコになっても、健気に動き続けていたからラップトップがいつも手元にあることが当たり前になっていた。
このBlogも、工場の仕事の集中が切れると日本海へ出かけて海を見ながらプチプチとキーボードを打っていたし、寺の一人暮らしもゴロリと横になってメタボ腹の上に乗せて気楽にプチプチやったりして、まぁ、チョット気になることがあったり少しヒマが出来たりすると、いつも気軽に使い倒していた。

結局は、何かと便利に使い勝手が良かったということだろう。
動かなくなってしまってからとにかくBlogの更新が停滞する。
1日の用事が終わって夕ご飯を終わって、とりあえずは「さて、そろそろキーボードでもつつくか・・・」という気になるものの、デスクトップを起動することがなかなか出来ないまま、結局睡魔の方が優先してしまう。
早朝に目覚めても布団の中でゴロゴロしている間に「わざわざBlogのためにデスクトップを起動するのも面倒臭いなぁ〜・・・」ということになる。
寺の寺務や展覧会の事務や各種書類作成や広報関連の印刷原稿の作成など、少しストレスのある重たい仕事はやはりデスクトップの方が仕事もしやすいし、集中できて作業もはかどる。
撮りためた写真データの整理や、好きな音楽のアルバム作成や、手紙や宛名のデータベースやSNSの確認のような軽い用事のほとんどをラップトップでまかなっていたから、それが全部デスクトップへ回ってくることになった。

はっきりいって、ラップトップの存在を甘く見ていた・・・
日常の暮らしのスケジュールを見直さなければ、今までと同じようなわけにはいかなくなった。毎日の出来事にそれほどのドラマがあるわけでもないし、雨が降ったとか暑かったとかそれで仕事のスケジュールが狂うわけでもないし、簡単な覚書程度のメモを残しておけばそれでBlogを代用することにもなるのだろうが、なんとなくそれだけでは味気ない気もしている。
そんなわけで、現在物理的諸事情によりBlogの停滞が続いています。あしからず・・・

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田んぼ彫刻 

2018/12/09
Sun. 04:36

「今年は観音様の供養がまだなんだけど、法事の時に一緒というのはダメ??」
少し前に獣医の同級生が電話をしてきた。
最近は・・というより、住職が私の代になってからそういうことは他でもよくあることだから「ソレでも良いよ」と返事をしておいたら、日を改めて「9日でどぉ〜〜?」と電話が入って「あぁ〜〜良いよ!」と答えておいたのだが、それからしばらくしてまた電話が入って1週間ずらしてくれということになって9日がフッと空いた。
彼も私と同じ年だから、すでに公務員の獣医は退職をしているのだが、現職に人員が足らなくて、宿直とか休日勤務の補助要員で駆り出されることがあって、なかなか農業1本に絞れないまま忙しい毎日を送っている。

萬善寺への通勤坊主をしなくて良いことになったから、彫刻家に気持ちを切り替えた。
11月の29日に個展がスタートして10日が過ぎた。
個展といっても、自分の場合は石見銀山の谷の吉田家の近所にある稲刈りが終わって来年春まで使うことのない田んぼの適当な場所へ野外彫刻を置くだけのことだから、入場するもしないも24時間オールフリーの展覧会になっている。
石見銀山の町並みに本店のある衣料雑貨の店が吉田の個展を主催してくれていて、その店からのダイレクトメールに第1段の展覧会案内が同封された。
作家としては、作家個人からのダイレクトメールを発送するタイミングを測りかねていて少し悩んだが、一応は展覧会の主催が他にあることなので、作家からの展覧会開催案内は少し遅れて発送することにした。
こういうタイプの展覧会は、以前にもしたことがあって、その時は、約3ヶ月の展示期間中に3回の作品入れ替えをした。
その都度案内状を発送してみたのだが、島根県の冬は雪も降るし表日本からの移動が難しかったりするから、労多くして効無し的展覧会になってしまった。
その反省も含めて、今回は3ヶ月の長期展示を同一テーマで引っ張り続けることにした。それで定期的に彫刻を移動したり加えたり減らしたりしながら展示の変化とか効果を記録していこうと決めた。

今は、この10日の間に少しずつ彫刻を増やしている段階だ。
前回の展覧会の経験で、遠方からの来場がそれほど期待できないとわかっているから、ターゲットを石見銀山に生活する様々な人々の目に絞った。
そうすることで、主催会社の従業員やそのお店のお客さんや、大森小学校へ通う子供たち、保育園に通う親子連れ、住民のおじいちゃんおばあちゃん、町内の各種事業関係者、路線バスの乗客やドライバーなど、身近な人々が彫刻の変化に気づいてくれること。それに若干プラスして田んぼの彫刻が観光流入の人々の目に入るくらいで良いふうな予測をした。
寺のことがなければ、ほぼ毎日工場へ通う日々が普通になって身体の疲労は貯まるが気持ちの方は良い意味で充実している。彫刻のカタチも、制作時間が充足されたおかげで軽々しい表現の変化を抑えることが出来てきた。
個展はこれが最後になるかも知れない。踏ん張ってカタチを掘り下げていこうと思う。

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血と煙 

2018/12/08
Sat. 04:08

行きつけの開業医は土曜日でも午前中だけ診察してくれるので、朝早くに自宅を出て工場へ行く前にそちらへ回った。

その病院の待合室にはF6からF10程度の風景画やブロンズの小品彫刻が数点飾ってある。ドクターの趣味なのか薬剤師の奥さんの趣味なのか、もしくは税金対策なのかよくわからないが、総合病院によくある統一感のない寄贈品ばかりの展示とか、病院職員や関係者の趣味の作品展示よりはずっと上品で好感が持てる。
吉田家は上の子供がまだ幼稚園くらいだった小さい頃から家族全員でそのドクターの世話になっていて心安くさせてもらっている。確か娘さんがじゅん君と同じ高校で吹奏楽部の先輩後輩の関係だったと思う。看護師さんも吉田家のなっちゃんと同級生の子供がいるはずで、まぁ、狭い街のことだからなんずかんずいろいろ手繰ると普通に何処かで誰かと繋がりが出来てくる。

ボクは、もう何年も前から歩く成人病状態で数種類の薬が手放せない。ソコソコ几帳面に飲み続けてはいるのだが、目に見えて症状が改善するわけでもないし、薬の効果がどの程度なのか判断に苦しむところだが、かと言ってドクターはそれで特に深刻な様子でもないし、結局慢性の持病だと思って死ぬまで付き合うしかないことなのだろうと、今のところ自分で勝手にそう思い込んでいる。急激な体調の変化とか、診察中のドクターの顔色が一瞬曇ったとか、そうなった時はそれなりに病状の悪化を覚悟しよう。

病院が終わったらそのまま工場へ行くつもりで、つなぎなどの作業着一式を用意しておいた。さすがに鉄の埃にまみれた作業着のまま診察を受けることは出来ない。
血液検査の結果があまり良くなくてちょっと気持ちが重たい。
前日に途中で終わっていた彫刻の溶接を続けてカタチが少しずつ見えて、いつのまにか彫刻の方へ気持ちが入り込んで血液検査のことを忘れかけていたところへ、うっかり鉄板の切れ端にグローブを引っ掛けてそのあたりの手の甲に血がにじんできた。傷というほど大したものでもなかったが、ペロリとなめてもしばらく血が止まらなかった。
「これは血液の凝固を和らげる薬ですからね」・・・以前、ドクターがそのような説明をしていた。「そうか!たぶん、高血圧の薬のせいかも知れない・・・」血は鉄の味がした。血の出た傷よりまだ新しいグローブが破れたほうがショックだった。

気を取り直して溶接をしてグラインダーを使っていたら、今度は何かしら焦げ臭い匂いが漂ってくる。近くに燃えるものは無いはずなのにとにかく焦げ臭い。そのうち溶接の紫外線光に照らされて何処かから立ち上る煙が見えてきた。煙がいやに近い!
グラインダーのスイッチを切ってあたりを見回したら、なんと!ボクのつなぎの腹のあたりから煙が立ち上り、左腕の袖口にはチロチロと小さく燻る火が見えた。
焦ってグローブでバタバタと火を消したが、暫くの間ボロ布が燻る匂いと煙が工場に漂っていた。
つなぎの作業着は母親が元気だった頃ボロ布を当てて手縫いしてくれた。少なくても5年以上は前のことだ。さすがに、もう廃棄するしか無い。母親の痕跡がまた一つ消滅する。

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無心 

2018/12/07
Fri. 04:11

朝から溶接が続いて立っているのが少し辛くなってきたから、いつもの海へ出てみることにした。
北西風が比較的強くて波が少し高かった。
大陸へ続く水平線が凸凹に波打っている。

仕事中に無心でいられる時間がずいぶん短く減った。
昔は、溶接をしていると足が重くなることも腰が痛くなることも肩から首筋が固まって指先が痺れてくることもなかったが、この頃はしばらく決まった仕事を続けているとそういう身体のアチコチの不具合が気になってきて集中力が切れて絶える。
修行僧的に云うと、座禅の身体がゆらゆらと揺れて気が散っているような感じで、歳を重ねれば重ねるほど修行の成果が身についてくるはずなのに、私の場合はまるでその逆になっている。
「コラ!!修行が足りん!!」と一括されてしまう不甲斐なさだが、なにせ日常の生活優先の在家坊主といては致し方ないところもある。
先代住職のことを思い出すと、膝が思うように動かなくなって、腰痛がひどくなって、サロンパスの効能が用をなさなくなって、指がしびれて物をうまくつかめなくなったり紐を結ぶのに時間がかかったりし始めた頃から、「エイ!クソ!!」を口走ることが一気に増えた。法事の先の人前でも口から出てしまうものだから「そういう、汚いこ言葉は謹んだほうが良いよ・・」とさり気なくたしなめていたのに、今は自分が似たような状況になりつつあって「ヤバイ!!」と気づいて反省することが増えた。そのうち、気づかないまに思わず口走ってしまっていたりしてくると、まさに先代と同じになってしまう。ヤレヤレ・・・

「無心」というと、確か沢庵禅師(だったと思う・・・)が、「分別や思案の無い時の心の状態である・・・」というような定義付けをしていらした(はずだ・・?)。
ようするに「何もしないとか何も考えないとかそういうこととは違うよ!」というふうに私は解釈している。「自分の現状からしばし逃避してボォ〜〜〜っとしている状態のことではない」ということ。
何か一つ事に一心不乱に取り組んでいる時の状態が「無心である」といえる。少し状況が違うかも知れないが「集中している」ということはそういう「無心の時の状態」を云うのではないのかと思っている。

日本海の波を見ていると・・いや、見続けていると・・自然と心が安らかになって、ある時を境に刻々と常に変化する波の様子と自分の気持ちが一つに重なったように感じる時がある。結局はただ「ボォ〜〜〜」っとしていただけのことなのかも知れないが、それでも何かしら彫刻の次の一手に迷いがなくなった清々しさも感じていたりする。
日々自堕落に過ごしているから集中力が退化するのも仕方がないことなのだろう。それでもまだ、いざという時にひと踏ん張り出来る程度の集中力は維持できている気がする。なにごとも、自分のことは自分自身が一番良く心得ているつもりでも、実際自分自身が一番自分の事に気づいていなかったりするものだ。ボクはまだまだ自分に甘いなぁ・・・

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連作彫刻 

2018/12/06
Thu. 04:28

しばらく彫刻から遠ざかっていたことは、かなりのストレスになっていたようだ。
11月の富山町のことが一段落してから、ほぼ毎日のように工場へ通っている。
その間に、身体が忘れていた彫刻の感のようなものを少しずつ取り戻して、気持ちの向く方向へ自然と身体が動くようになって、制作作業のムダが整理されてきた。

それでわかってきたことは、自分の肉体の老化。
つま先に鉄板の入った安全長靴の重さが、気づかないくらいのところで負担になっているようで、床のアチコチへ乱雑に散らばった仕事の痕跡によくつまづくようになった。
はじめの頃は、大きな怪我になる寸前の危険な状態になって肝を冷やしたことが1日になんどもあった。そういうことが連続すると云うことはやはり自分が老域に入ったのだろうと自覚することでもある。一度「そうに違いない!」と現在の状況を認めて受け入れると、それから先、無理をしないような動きを工夫するようになって、今はそれが普通になってきて、4✕8の鉄板を制作台へ乗せるのも、いろいろと工夫して前と変わらないくらいに出来るようになった。

1m以下の小振りの箱彫刻を10個連作しているが、それをすべて溶接し終わるのに2日かかった。
夕方になると集中力が切れて溶接の精度も落ちて1日の作業の限界を感じる。今までは、小休止して気持ちを切り替えて作業を再開していたが、そういう無理をすることが翌日に影響すると余計に作業効率が落ちて完成の目処がつかなくなるから、身体の動きが鈍くなったと思ったら、そこで1日の仕事を打ち切ることにした。
いくら彫刻三昧の1日を過ごしていても他に用事がないわけでもないから、夕方からあとは工場から寺へ移動したり、貯まっていた業者さんへの支払いをしたりして用事の停滞を解消している。

今制作中の彫刻は、今回の個展のサブテーマである「彷蔵」の系列に位置しているものだ。
「彷蔵」は、自分の造語で「ほうぞう」と云う。
その言葉に隠されている自分なりの想いはあるが、それはそのうち語る機会もあるだろう。とにかく、今は10個の箱彫刻の次の工程を造形上の工夫に置き換えることを優先する段階だ。
野外彫刻の個展というものは、展示期間も含めて自分の中で空間の境界をある程度決めておかないと、何事もすべてが曖昧に始まって終わってしまうから、あらかじめ事前におおよそ展覧会のシナリオを造るようにしている。このことも、何かの機会で文字に置き換えておくくらいのことはしておく必要を感じてはいるが、まだ制作の最中だし、そういう段階で自分の彫刻を別の表現手段で語るということは避けておきたい。

今年は、例年になく12月に入ってまだ初雪が降らない。冬シーズン限定で開催している野外彫刻の個展としては、自分の思惑通りにいかないところもあって少々苦戦しているがそれも仕方がない。なにせ地球の環境が相手のことだから・・・

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吉田家の夕食 

2018/12/05
Wed. 04:54

中学校を卒業するまで生まれ育った地元で暮らしていた。
萬善寺から約2kmほど歩いて小学校へ通い、中学校の3年間はその道を父親からお下がりの自転車で通っていた。
学校のあった小さな町にはなんでもあった。
映画館を兼ねた劇場は、1ヶ月に2回位上映替えがあってだいたい2本立てだったが、行楽シーズンとかお盆とかの節目には3本立て上映をしたりして賑わっていた。
大人の娯楽はパチンコ屋があったし、旅館は2軒並んでいて2階の大部屋からは週末になると宴会のザワメキが町並みに降り落ちていた。
内科と小児科を兼ねた開業医があって、その前には薬局と歯医者さんがあった。
町並みのほぼ中央にバス停と小荷物の引き渡し所があって、その隣は郵便局だった。
パーマ屋さんが町の川上にあって、町の川下の端に床屋さんがあった。
恵比寿神社の前には本屋とおもちゃ屋を兼ねた文房具店があって、その隣は電気屋さんだった。
学校へ入る四つ角には、酒屋さんとお菓子屋さんと呉服屋さんと自転車屋さんがあった。
その自転車屋さんは、それからしばらくしてスバルの自動車代理店になって、川下の床屋さんの前にある自転車屋さんはスズキの代理店になってそれぞれバイクや自動車を販売修理するようになった。
学校へ登る坂下の広場を囲むように、森林組合の事務所と農協と農協スーパーと銀行と役場があった。
新聞屋さんの隣にあるタバコ屋さんには通りに面して広い土間があって、簡単な軽食も出していた。梅雨が終わって暑くなり始めるとかき氷の旗が軒先にぶら下がった。
そのタバコ屋さんの前が雑貨屋さんで食器からザル・カゴ・ホウキ・スコップと、日常の生活雑器は何でも揃っていた。
毎日通学する先にあるその町は少年の私にとって大都会だった。

萬善寺の日常生活は、その町にある酒屋さんや雑貨屋さんの配達が頼りになっていた。
盆正月のお参りは、今では想像できないほどの大賑わいで、法要後の御斎には田の字の庫裏の襖障子をすべて取り外して大部屋になったところへ80人位のお檀家さんがひしめいていた。それだけの人数を賄うための大小の茶碗汁椀湯呑取り皿徳利猪口などなどの食器類は膨大な量で、それらすべてを寺の備品什器として雑貨屋さんから一括取寄せていて、割れたり欠けたりした物の補充更新が毎年のように繰り返されていた。
家族だけの食事には、その更新されて廃棄されるべき器がしぶとく使いまわされていて、子供ながらに、実に味気なくみすぼらしいものに感じていた。せっかくの母親の手料理も欠けた瀬戸物で飲み食いしていては美味しくもなんともない。

内村萩焼作陶工房で仕入れた器が早速吉田家の夕食に登場した。
器の殆どはとみ山フィールドアートワークで教室個展にあった器で、私が目をつけていたもの。それに、ワイフが欲しがったお皿も添えて一括購入した。
食材は、萩からの帰りに寄った数カ所の道の駅でゲットした地物ばかり。
ワイフの手料理がひときわ美味い!・・・

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2019-03